こんなコメントをいただきました。
「資産7,000万円、独身です。孤独死の事がよく言われますが、私の場合は避けられそうにありません。一方で、そんなに孤独が悪いのかという気もします。この辺りをQたろうさんはどう考えていますか?」
とのことです。ありがとうございます。
・導入・チャンネル紹介
「孤独死が怖い」。この言葉、ニュースでも特集でもよく見かけます。老後の失敗例みたいに語られることが多くて、「孤独死しないために」という形で話が進んでいく。
でも孤独に死ぬことの、何がそんなに問題なんだろう、とQ太郎は昔から思っていて。生活上、不便と言えば不便かもしれませんが、死ぬ瞬間に誰かが部屋にいるかいないか、それが老後の幸不幸を決めるものなのかな、と。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。今回は「老後の孤独が怖くない理由」を深掘りしていきます。
・「孤独死」の恐怖の正体
それで「孤独が怖い」という感覚を少し丁寧に分解してみると、実は2種類の違う恐怖が混ざっていると思うんですよ。
ひとつは「孤独に死ぬこと」そのものへの恐怖ですね。誰にも看取られず、一人で息を引き取ることや、「死の場に誰もいない」という状況への怖さです。まあ、いつ亡くなるかわからない以上、ちょうどよく近くで誰かが看取ってくれているということのほうがレアケースなような気もしますけど、なんかそういうことを気にする人がいるのも確かです。
もうひとつは「何かあったときに助けてもらえないこと」「死後、発見されないこと」への恐怖。なにかあって、一人でどうすることもできなかったり、亡くなったあと、数日〜数週間、誰にも気づかれない状態になることですね。部屋の状態が荒れることや、周囲に迷惑をかけることです。
ひとつ目の例は自分の気分というか主観なので、自分次第なわけですが、ふたつ目は助けがなかったり、死後に迷惑をかけたりする以上、実害がありますね。
Q太郎が思うに、多くのかたが本当に怖がっているのは、「何かあっても助けてもらえない」「発見されないこと」への不安の方が圧倒的に大きいんじゃないかとは思います。「孤独に死ぬのが嫌だ」というより、「誰も助けてくれない」「死んだあとも放置」という恐怖ですね。
この2つは全然別の問題で、解決策も全く違います。「孤独に死ぬことへの恐怖」は人間関係と死生観の話で、ぶっちゃけ自分がどう思うかだけの話ですが、「助けてもらえない、発見されないことへの恐怖」は実害もありますし、システムと仕組みの話です。
実際の孤独死は、数字でいうと、年間3万件前後と言われています。日本の年間死亡者数は140万人規模なので、割合で見ると2〜3%程度。決してゼロではないですが、「老後の代表的な死に方」というイメージほど多くはない。いまはだいたいみんな病院ですしね。むしろ孤独に亡くなるケースのほうが圧倒的に少ない。
「孤独死=不幸な死」というイメージは、メディアが最悪のケース、たとえば長期間発見されなかった事例とかを繰り返し報道することで作られた部分が大きいとは思います。
実際には、その日のうちや翌日に発見されるケースの方がずっと多いわけです。「3週間誰も来なかった」という話が強烈に印象に残るから、孤独死全体のイメージがそこに引っ張られている。実際は匂いもしますし、山奥の一軒家とかじゃないと、長期間放置されるケースのほうが稀だとは思います。そういうことがあったらニュースになるぐらいですしね。
・人間関係は自然に変化する
それで老後の孤独の話になると、必ずセットで出てくるアドバイスがあります。
「老後のために、今から人間関係を作っておきなさい。」「地域コミュニティに参加しなさい。」「趣味の仲間を見つけなさい。」「友人と定期的に連絡を取りなさい。」
べつに良いですし、悪い事ではないですし、正しいことなんですけど、Q太郎はこれに対して昔からずっと違和感があるわけです。
人間関係って、「管理」するものなんですかね。
歳を重ねると、関係は自然に変化していきます。会社を辞めれば職場の同僚とは接点がなくなる。子どもが独立すれば子育て仲間との縁も薄くなる。体力が落ちてくれば趣味のグループからも少しずつ遠ざかっていく。
これって、失敗じゃないと思うんですよね。人間関係の「フェーズが変わっている」だけで。
付き合わなくなるかたは、わざわざ整理しなくても自然に疎遠になっていく。連絡しなくなれば、向こうからも連絡こなくなる。それだけのことだとは思います。
「人間関係の断捨離をしなければ」とか「ちゃんと整理しなければ」という発想もたまに聞きますが、Q太郎の感覚では、そんなにアクティブにやることは何もない、という感じです。そもそも、そんないちいち人間関係なんて管理してないとは思います。
「人間関係の断捨離」についてはまた今後突っ込んで話そうと思いますが、「老後に向けて人間関係を整備せよ」という考えかたは、「孤独イコール欠乏」という前提から来ていると思います。人が周りにいない状態を、補わなければいけない欠如として捉えている。
それで、なんか老後へのセキュリティとして人間関係を構築してしまう。なんか人を利用している感じもあります。そういう利用の仕方だったら、セコムとかの見守りサービスの方が確実性が高いんじゃないかと。
それで、一人でいることと、寂しいことは、別の話とは思います。
深夜に一人で本を読んでいる時間が充実している、ということはある。逆に、人に囲まれていても何か空っぽな感じがすることもある。孤独かどうかは、人数の問題じゃないんですよね。
老後の一人暮らしへの不安を「人間関係を作ることで解決する」という方向には、Q太郎的にはちょっと懐疑的です。セキュリティ目的ならセコムのほうが上ですし。それよりも「一人でいることへの耐性と、一人でいる時間の質」の方が本質的だと思っています。
・お金が「孤独」を「自由」に変える
ここで話がお金の話になってきます。
コメントをくださったかたは資産7,000万円。独身とのことですが、この状況でQ太郎が思うのは、「孤独に対してかなり強いポジションにいる」ということです。
「孤独が怖い」という感覚の根っこには、先ほども言ったように、「老後、誰かに頼らないといけない局面が来たとき、頼れる人がいない」という不安があると思うんです。体が不自由になったときや、認知機能が落ちてきたときや、一人では日常生活が難しくなったときですね。
その不安への対処法として、社会は長いあいだ「家族に頼る」か「地域コミュニティに頼る」を想定してきました。だから「老後のために人間関係を作っておけ」という話になる。
でも先ほども言ったように、もしセキュリティが目的なら、プロの業者を利用したほうがいいわけです。
家族に頼る場合は、相手の感情・都合・遠慮が必ず絡んできます。「こんなことを頼んでもいいのか」「迷惑をかけてしまう」という気持ちが生まれる。それ自体がストレスになることも多い。でも対価を払って使うサービスは、遠慮がいらない。必要なときに使って、必要なければ使わない。
孤独が「欠乏」ではなく「独立」に変わる瞬間です。7,000万円を、「誰かに迷惑をかけずに最後まで自分で選ぶ」ための資産として使う、というのはとても理にかなっている使い道だと思います。
・具体的な備え
「死後、発見されないかもしれない」「なんかあったときに助けてもらえない」という不安については、今の時代はきちんと解決策があります。
まず「見守りサービス」。昔からあるのは、電気ポットの使用状況をセンサーで検知して家族や業者に知らせる型ですが、最近はスマートフォンのアプリでもありますね。毎日のボタン操作で生存確認するやつです。月額数百円〜数千円程度でかなりの選択肢があります。毎月払い続けるものなので安いに越したことはないですが、安心のための代金としては、コストパフォーマンスはかなりいいとは思います。
次に「死後事務委任契約」。これは亡くなったあとの各種手続き、たとえば病院や施設への連絡、葬儀の手配、家財の片付け、公共料金の解約とかです。生前に司法書士や行政書士、専門業者と契約しておくものです。家族がいなくても、手続きが滞りなく進む仕組みを作っておけます。
さらに、三井住友信託銀行とかがやっている「終活信託」。財産の管理・処分まで含めて信託銀行や一般社団法人などに委託する仕組みで、老後の財産管理から死後の手続きまで一括で任せることができます。費用は内容によりますが、数十万〜百数十万円程度のことが多いので、ちょっと高めです。ただ、7,000万円の資産があれば、これらの備えを組み合わせて使うことは十分に可能です。
ひとつ大事なことをいうと、こういった備えは「心の孤独を回避するため」ではないということです。あくまで「老後の問題を円滑に対処する仕組みを整えるため」であって、それは家族がいるかたでも必要な準備です。「うちは子どもが3人いるから大丈夫」と思っていても、実際に手続きが煩雑で子どもたちが困った、という話はよく聞きます。
「孤独が怖い」の実態が「何かあったときに助けてもらえない」「死後の後始末が心配」だとすれば、その不安はお金とサービスで解消できるとは思います。孤独自体の本質は、このセキュリティの話ではないのですね。
・まとめ
そんなわけでまとめると、「孤独が怖い」という感覚には、2種類の異なる怖さが混ざっています。「孤独に死ぬこと」への恐怖と、「何かあったときに助けてもらえない」「発見されないこと・死後の後始末」への恐怖。
「孤独に死ぬこと」への恐怖については、Q太郎は「そんなに悪いことじゃない」と思っています。というか、自分の心の問題なので、自分でどうにかすればいいだけです。孤独に死ぬことは、人生の失敗でも不幸の証明でもありません。人間関係は自然に変化するもので、それを無理に食い止める必要はない。一人でいることと、寂しいことは別の話です。
「助けてもらえない」「死後に見つけてもらえない」ことへの恐怖については、お金とサービスで対処できます。見守りサービス・死後事務委任契約・終活信託など、今の時代は選択肢がきちんと揃っている。7,000万円という資産があれば、必要な備えをすべて自分の判断で選べます。
「孤独が怖くない」のは、強がりでも達観でもなくて、「怖さの中身を分解したら、全部対処できるとわかった」という話だとQ太郎は思っています。孤独は欠乏ではなく、独立です。ここから、孤独哲学の第一人者であるショーペンハウアーの話を始めたいところですが、また次回以降にします。
よかったら、孤独についての考えかた、老後の一人暮らしについて思うことをコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
