
こんなコメントをいただきました。
「Xは見るのをやめましたね。あれは本当に時間どころか人生の無駄です」
とのことです。ありがとうございます。
Q太郎は、Xを見るのをやめました。フォローしているもの以外が流れて来るし、あまりにも内容も意味もなさすぎる投稿が多すぎるんですね。イーロン・マスクのツイートもやたらと流れてくる。インプレッションの多い物が強制的に流れてくるみたいな感じですね。
よくあるのが、何かが起こりそうで、最後まで何も起こらない動画です。
「これ、どういうこと?」みたいなコメント付きの動画が投稿されている。何か変なことが起こると思って、動画を最後まで見ます。
しかし、最後まで何も起こりません。
そこで、何かを見落としたのかなと思って、もう一度見ます。
やはり、何も起こりません。
面白かったから二回見たのではありません。
何もなかったから、二回見たのです。
しかもその動画には「意味がわからなかった」「どういうこと?」みたいなコメントがたくさんつくわけです。
ようするに、Xのシステムをハックしているのですね。Xではコメントの多さや、視聴時間の長さによって、その投稿を「良い投稿」と判断して、インプレッションを多くしてしまいます。そこを狙ったハックとも言えます。Xも投稿でお金を稼ぐことができるようになったので、そんなハッキング的な内容のものばかりですね。
あと一ページだけの漫画で、意味ありげで何も起こらない。それで「どういうこと?」みたいなコメントがたくさんつく。
Q太郎に残るのは、「結局、何だったんだ」という気持ちと、失った時間だけです。
こんなものを見るために、人生があるわけではないだろうと思い、やめました。ああいう投稿が流れてくるのが本当に嫌。イーロン・マスクの意味のない投稿を見るのも嫌。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「50代からは、やめることを増やす」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、なぜ50代からは、始めることより、やめることが重要になるのか。
二つ目、Q太郎がXをやめて気づいた、何も残らない時間の正体。
三つ目、やめたほうがよいことと、やめてはいけないことを、どう分けるのかです。
最後に、50代から残すべき面倒とは何か、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・足すより先に余白を作る
それでは一つ目、なぜ50代からは、始めることより、やめることが重要になるのかです。
若いころは、いろいろなものを増やしていきます。
知識を増やす。
仕事を増やす。
人間関係を増やす。
趣味を増やす。
できることを増やすことで、人生の選択肢を広げます。
これは必要な時期だったと思います。
しかし50代は、人生の折り返し地点を過ぎています。
ここから同じように、仕事も、趣味も、情報も、人間関係も増やし続ければ、一日はどんどん細切れになります。
体力や集中力は若いころと同じではありません。とくに集中力の低下は、いまQ太郎がひしひしと感じていることです。
それなのに、やることだけが増えていけば、本当にやりたいことへ使う時間がなくなります。
ですから50代からは、何を始めるかより先に、何をやめるかを考えたほうがよいと思います。こっちのほうが絶対に重要です。まずやることを減らす。
余白を作らずに新しいことを始めれば、新しい趣味まで義務になります。
運動を始める。
英語を始める。
副業を始める。
読書も始める。
全部よいことのように見えます。
しかし、一日がすでに埋まっているところへ押し込めば、生活全体が苦しくなります。
空いている土地がないのに、家を建てようとしているようなものです。
まず、必要のない建物を取り壊さなければなりません。
たとえば、それほど遊びたいわけでもないスマホゲームをやめてみる。
ログインボーナスを受け取るために起動し、毎日のクエストを終わらせる。
ゲームで遊んでいるのか、ゲーム会社へ出勤しているのか、分からなくなっているものです。
それほど見たいわけでもないアニメやドラマを、途中でやめてみる。惰性で買っている漫画とかもそうですね。カイジとか、だんだん話が進展しなさ過ぎて、Q太郎は読むのをやめました。あと「ゲーム・オブ・スローンズ」が面白いとか知人に言われて観てみたんですけど、Q太郎には合わなかったので視聴を中止しました。
ここまで見たのだから最後まで見なければならないと思っても、見終えた先に表彰状があるわけではありません。
一度やめてみると、「一日には、こんなに時間があったのか」と感じるかもしれません。
時間が増えたのではありません。
自分でも使っていることに気づかなかった時間が、戻ってきたのです。
・二つ目・何もなかったから、もう一度見る
二つ目、Q太郎がXをやめて気づいた、何も残らない時間の正体です。
もちろん、Xに価値のある情報がないという話ではありません。
面白い投稿もありますし、必要な情報が早く手に入ることもあります。
仕事や交流のために使っている人もいるでしょう。
ただ、Q太郎の場合は、見たいものを選んで見ている時間より、流れてきたものへ反応している時間のほうが長くなっていました。Xがそういうシステムだからですね。
とくに多いと感じたのが、前述したように、「何かが起こりそうで、何も起こらない動画」です。
「これ、どういうこと?」とか「よく見ると、おかしなものが映っています」とか、そんな言葉が付いていれば、こちらは結末があると思います。
それで観てみると、最後まで何も起こらない。
だから、もう一度見ます。その動画についたコメントも確認します。
ここが、よくできているんですね。
普通の動画は、面白かったから見返します。
この動画は、意味が分からなかったから見返します。
内容があるから再生されるのではなく、内容がないから再生される。
視聴者の満足度はゼロなのに、再生回数は二回になります。
Xは公式の説明でも、利用者が何に関心を持ったかを判断する材料として、投稿への滞在時間や動画の再生、動画視聴などを挙げています。ここがハックされているように思えます。
内容があるように見せて、見るのをやめる判断を遅らせれば、滞在時間や再生回数は増えます。
アルゴリズムのハッキングというより、人間の注意のハッキングです。
「次には何かあるかもしれない」という期待だけを小刻みに与え、指を動かし続けさせます。
一本は数十秒です。
だから、大した損失には見えません。
しかし、そのあとに、また一本流れてきます。
そして、一日の終わりには、何を見たのか思い出せません。
Q太郎は、こういう投稿を、ちらっとも見たくないですし、イーロン・マスクの投稿も見たくないので、Xをやめました。精神的にかなり楽になりましたし、時間も奪われずにすみますしね。
それと、Q太郎がかなりエグいと思っているのが、ヤフーニュースです。
ヤフーニュースは、過去に閲覧したニュース記事などを分析し、その人の関心が高いと推定される記事を表示します。
つまり、同じヤフーニュースを開いても、全員がまったく同じ世界を見ているとはかぎりません。
さらに、すぐに消えるニュースもあれば、何時間も目立つ場所に残り続けるニュースもあります。
何を表示し、何を表示せず、どの記事を長く目に入る場所へ置くかを決められる仕組みは、使い方によっては思想誘導も可能です。
ある事実を何度も見せ、別の事実をほとんど見せなければ、それだけで利用者の中にできる世界像は変わります。
そんな感じでQ太郎は、ヤフーニュースを見るのも、必要があるとき以外はやめました。なんとなくで見ると、自分が興味のある記事がどんどん出てくるので、時間がすり減っていきますしね。
Xでは、次に何か起こるかもしれないという期待で時間を使います。
ヤフーニュースでは、自分の関心のある記事をどんどん表示して、時間を奪っていきます。
どちらも、自分で情報を選んでいる感覚があるからこそ、やめにくいのです。
50代からやめたほうがよいのは、娯楽そのものではありません。
自分が楽しんでいるゲームや、本当に見たいアニメまで捨てる必要はありません。
終わったあとに何も残らず、始めた理由も思い出せない習慣を、一度やめてみるのです。
・三つ目・生活する力まで捨てない
三つ目、やめたほうがよいことと、やめてはいけないことを、どう分けるのかです。
時間を作るなら、面倒なことは何でも外注すればよいと思うかもしれません。
料理をやめる。
掃除をやめる。
洗濯をやめる。
買い物も手続きも、全部誰かへ頼む。
お金があれば、多くのことを自分でしなくて済みます。
しかしQ太郎は、家事や生活上のことを、何でもやめるのはあまりおすすめしません。
時間は空いても、外部への依存が増えるからです。
料理をしない生活と、料理ができない生活は違います。
掃除を頼むことと、掃除の仕方が分からないことも違います。
自分でできるけれど、時間を買うために人へ頼む。
これは選択です。
しかし、自分ではもう生活を維持できず、お金で誰かに動かしてもらわなければならない。
こちらは依存です。
Q太郎は以前、「お金のある無能は、本当にヤバい」という話をしました。
ここで言う無能は、仕事ができないとか、頭が悪いという意味ではありません。
自分の生活を、自分で維持できなくなった状態です。
お金があるうちは、できないことを全部、お金で隠せます。
食事を作れなくても、買えばよい。
部屋を片付けられなくても、頼めばよい。
移動も、手続きも、誰かに任せればよい。
しかし、お金がなくなった瞬間、「お金のある無能」が、「お金のない無能」へ変わるだけです。
しかも50代以降は、これから親の介護や自分の病気、収入の減少など、生活の形が変わる可能性があります。
そのとき必要なのは、すべてを一人で抱えることではありません。
できないときは、制度や人を頼ればよいと思います。
ただ、自分の生活をどう動かすのかを理解し、必要なら自分でも手を動かせることです。
家事には、面倒な部分があります。
しかし、その面倒の中には、自分で生きているという実感もあります。
食べるものを自分で決める。
自分がいる場所を、自分で整える。
必要なものを、自分で管理する。
この力まで削ると、余白が増えるのではなく、自分の人生から自分が抜けていきます。
やめる基準は、楽か面倒かではありません。
やめた結果、自分の時間と主体性が戻るのか。
それとも、自分の生活能力と主体性を失うのか。
そこを見たほうがよいと思います。
それと、やめると決めても、一気に全部やめる必要はありません。
毎日使っているものを、明日から二度と使わないと決めるのは、けっこう難しいです。
できなかったときに、「自分には意志がない」と落ち込み、結局、以前より長く見てしまうこともあります。
ですから、まずは部分的にやめます。
通知だけを切る。
朝起きてすぐ見るのをやめる。
寝る前には開かない。
スマホゲームを三つ遊んでいるなら、本当に残したい一つだけにする。
アニメを全部やめるのではなく、面白くないのに惰性で見ている一本だけをやめる。
Yahoo!ニュースも、まったく見ないと決めなくてよいと思います。
一日に何度も開いているなら、見る時間を一度だけにする。
おすすめ欄を延々とたどらず、確認したかった話題を読んだら閉じる。
こうして入口を一つずつ閉じていきます。
大切なのは、完全にやめたという実績ではありません。
一つやめたことで、時間や気分がどう変わったかを感じることです。
少しやめてみて、困らなかった。
むしろ、一日が長くなった。
その感覚が分かれば、次の一つも自然にやめやすくなります。
50代からの余白は、生活を一気に空っぽにして作るものではありません。
自分の時間を奪っている小さな入口を、一つずつ閉じて作るものです。
・まとめ
最後に、50代から残すべき面倒とは何か、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
50代からは、何かを始める前に、やめることを増やす。
それほど遊びたくないゲーム。
それほど見たくないアニメ。
何かが起こりそうで、最後まで何も起こらない動画。
自分に何も残らないのに、相手の数字だけを増やしている時間。
一度やめてみると、思っていたより一日が長いことに気づくかもしれません。
ただし、面倒だからという理由だけで、生活する力まで捨ててはいけません。
料理や掃除、洗濯や手続きには、自分の生活を自分で動かす力が含まれています。
お金を払って誰かへ頼むことはできます。
それでも、自分では何も分からない状態にまでなれば、お金がある間しか成立しない生活になります。
Q太郎は、50代からやめるべきなのは、自分で生きるための面倒ではないと思っています。
自分の人生を生きている実感を奪う習慣です。
時間を使っているのに、何をしたのか残らない。
楽しんでいるわけでもないのに、やめられない。
自分で選んでいるつもりなのに、次の動画、次のログイン、次の話題に動かされている。
そういうものを一つずつやめて、自分で選べる時間を取り戻します。
全部を一気にやめる必要はありません。
通知を一つ切る。見る時間帯を一つ減らす。惰性で続けているものを一つだけ外す。
その小さな余白から始めればよいと思います。
余白とは、何もしない空白ではありません。
誰かに使い道を決められていない、自分の時間です。
人生の後半で大切なのは、どれだけ多くの予定を詰め込めたかではありません。
何をしないかを自分で決め、その空いた場所へ、本当に残したいものを置けることです。
皆さんには、楽しんでいるわけでもないのに、何となく続けているものがありますか。一週間だけやめるとしたら、何を止めてみたいでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
