50代からは「役に立たなければ」を捨てる|何もしない自分に価値はあるか

https://youtu.be/r5GzMUzlXf8

こんなコメントをいただきました。

「FIRE後や退職後に必要なのは、何もしないことに耐えられる能力だと思います。多くの人が結局また働いてしまう事も、何もしないことに耐えられないからですね」

とのことです。ありがとうございます。

哲学者・ショーペンハウアーのいう「人生は苦痛と退屈の二大地獄の間を、振り子のように行き来している」という話で、労働という苦痛から逃れたあとは、退屈というもう一つの地獄に対面しないといけなくなります。

そして多くの人が退屈に耐えられないのですね。何もしないことに罪悪感を覚えてしまう。

例えば、退職後、誰かから、こんなことを聞かれます。

「今日は、何をしていたの?」

散歩をした。

図書館で本を読んだ。

少し昼寝をした。

ゲームもした。

Q太郎的にはそれなりに楽しい一日ですが、多くの人はなぜか、こう答えます。

「今日は、何もしていない」

ゲームをしていたとしても、それは何もしていないことなのですね。仕事とか旅行とか、ちょっとしたイベントでないと、何もしていないことになるわけです。

「朝からゲームして楽しかったよ」

とか言う人はあまりいないわけです。

ここには労働の観念が入ってくるわけです。

一円も稼いでいない。

誰かの役に立ったり、問題を解決したわけでもない。

何かを生産したわけでもない。

一日は過ぎたのに、提出できる成果がありません。

だから、今日は価値のない一日だったように感じます。

会社は辞めたはずなのに、心の中では、まだ業務日報を書いているんですね。

誰の役に立ったのか。

何を達成したのか。

今日という一日に、どんな成果があったのか。

毎日、自分がここにいてよい理由を提出し続けます。発想がノルマなわけです。そのため、多くの人は退屈に耐えるのが難しいのですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「50代からは、役に立たなければを捨てる。何もしない自分に価値はあるか」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、なぜ役に立たなければ自分には価値がないと思うようになるのか。鬱傾向の人もこの発想が強いと思います。

二つ目、その思い込みを退職後まで持ち込むと、なぜ頼まれていない仕事やアドバイスが増えるのか。

三つ目、誰の役にも立たない時間を、どう受け取ればよいのかです。

最後に、50代から捨てるべきなのは、役に立つことそのものなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・心の中の業務日報

それでは一つ目、役に立たなければ自分には価値がないと思うようになるのかです。日本人はこの傾向がとくに強いとは思います。

というのも、日本では労働に対する要求がかなり高いのですね。

会社では、役に立つことを求められます。

売上を作る。

問題を解決する。

期限を守る。

部下を育てる。

組織が必要とする仕事を行い、その対価として給料を受け取ります。

会社は仕事をする場所なので、これはある意味、当然です。

役に立たなくても、毎月給料をくださいという話にはなりません。

ただ、何十年もその環境にいると、少しずつ二つの話が混ざります。

仕事で役に立つから、給料をもらえる。

これは、会社との契約の話です。

ところが、いつの間にか、こう変わります。

役に立つから、自分には価値がある。

仕事と自分の人生観が混ざってしまうのですね。そして仕事を自己実現の場に考えてしまう人が多いわけです。これについてはまた今後述べたいと思います。

それで、さらに進むと、こうなります。

役に立たない自分には、ここにいる資格がない。

仕事上の評価が、人間全体の評価へ広がってしまうんですね。

前回の動画では、収入は会社が仕事へ付けた値札であって、人間に付いた値札ではないという話をしました。

今回の話もそんな感じで、会社が評価しているのは、基本的に会社へ提供された仕事です。

家族にとって、どんな存在なのか。

友人と、どんな関係を築いているのか。

一緒にいて、楽しい人なのか。

自分の生活を、自分で維持できるのか。

散歩中に、どんな景色を見たのか。

そうしたものを全部採点し、最後に人事評価として通知しているわけではありません。

会社で役に立たない人へ給料が出ないことと、あなたの人生観は、まったく別の話です。

しかし、会社の評価制度に長く慣れていると、成果を求める方向に価値観が固定されていきます。

今日は仕事が進んだ。

誰かに感謝された。

お金を稼いだ。

だから、よい一日だった。

反対に、散歩をして、本を読んで、昼寝をしただけなら、「何もしていない一日」になります。「いや、散歩してるじゃん」とQ太郎は言いたくなりますが、その人にとっては何もしていない日なのですね。何もしていない日なんてありえないんですけどね。

そんな感じで、楽しかったかどうかより、役に立ったかどうかで一日を採点するのです。

50代でこの物差しを持ったまま退職すると、かなり厳しくなります。

会社の外へ出たあとも、存在しない上司へ、存在しない業務日報を提出し続けるからです。そして仕事の武勇伝を語るおじさんやおじいさんになって、求めてもいない話をみんなにし始めるわけです。

・二つ目・頼まれていない仕事を作る

二つ目、その思い込みを退職後まで持ち込むと、なぜ頼まれていない仕事やアドバイスが増えるのかです。

退職すると、仕事上の役割が急になくなります。

誰も指示を出しません。

会議にも呼ばれません。

相談もされません。

自分がいなくても、以前の会社は普通に動いています。

最初は自由に感じるかもしれません。

しかし、役に立つことが自分の存在条件になっていると、次第に不安になります。とくに日本人は幼いころから「人の役に立ちなさい」と教えられているので、この傾向が強いです。

最悪なのが「お金は感謝の量」とか、とんでもない嘘八百を吹き込まれて、お金を稼がないと感謝されていないと思ってしまうわけですね。特殊詐欺は感謝されまくっているわけです。

そんな感じで、お金はたんなる道具であり、商品券なわけです。それ以上の価値を感じる必要はないのですが、お金が感謝の量になると、お金を稼いでいないとダメな感じになっていくわけです。

自分は、もう誰からも必要とされていないのではないか。

そこで、自分が役に立てる場所を探します。

家族へアドバイスをする。

子どもの生活へ口を出す。

配偶者の家事のやり方を改善しようとする。

地域活動へ参加し、頼まれていないのに仕切る。

昔の仕事のやり方を、現在の人へ教える。アドバイスおじさんの爆誕です。Q太郎もこの傾向があるので気をつけています。

本人には、悪意がありません。

経験を生かしたい。

相手を助けたい。

まだ自分にも、できることがあると感じたい。

しかし相手は、助けを求めていないかもしれません。

以前の動画でも、アドバイスは求められてからでよい、という話をしました。

あの問題の裏側には、親切心だけでなく、「役に立たなければ、自分には価値がない」という不安もあるのかもしれません。

役に立たなければ自分には価値がないと思っていると、頼まれていない仕事まで作り始めます。

相手の問題を解決することより、自分が必要とされている状態を守ることのほうが、目的になってしまうのですね。ある意味、自己顕示欲なわけです。

これは、趣味にも起こります。

絵を始めたら、販売しようとする。

文章を書いたら、出版しようとする。

動画を作ったら、収益化しようとする。

何かを学んだら、資格を取り、人へ教えようとする。

もちろん、それ自体が楽しいなら、何の問題もありません。

趣味がお金になったり、人の役に立ったりするのは、うれしいことです。

ただ、楽しむだけでは価値がないと思い、趣味まで仕事へ変える。自分の好きをお金に変える。むしろ、お金に変えられなければ意味がないと思う。

上達しなければならない。

発表しなければならない。

誰かから評価されなければならない。

すると、退職後に得た自由時間が、また成果と査定の場所になります。

会社を辞めたのに、家庭や趣味の中へ、小さな会社を作ってしまうんですね。

そこには上司も部下もいませんが、心の中の人事部だけは残っています。

何をしても、これは役に立つのか、将来お金になるのか、誰かに評価されるのかと審査します。

会社から自由になっても、会社の価値観から自由になれていません。

・三つ目・役に立たない時間に耐える

三つ目、誰の役にも立たない時間を、どう受け取ればよいのかです。

ここで、「人間は存在するだけで価値があります」と言われても、なかなか納得できない人は多いと思います。

何十年も、成果を出し、役に立つことで評価されてきました。

明日から、何もしない自分を愛しましょうと言われても、急には変われません。

ですからQ太郎は、まず、誰の役にも立たない時間を少しずつ経験したほうがよいと思います。

散歩をする。

自分のためだけに料理する。

誰にも紹介しない本を読む。

収益化しない趣味を持つ。

上達しなくても、ゲームをする。

そして一日の終わりに、こう考えます。

今日は、誰の役にも立たなかった。

しかし、自分は少し楽しかった。

それで一日を終わらせます。

何かを作って公開する必要はありません。

感想を発信する必要もありません。

人へ教える必要もありません。

自分の中だけで終わる時間を持ちます。

これは、案外難しいことです。

何かを始めると、すぐに意味を付けたくなります。

健康のため。

勉強のため。

人脈を広げるため。

将来、お金にするため。

しかし、散歩は、散歩をするためだけでもよいはずです。

本は、仕事に役立てなくてもよい。

ゲームは、反射神経を鍛えたり、認知症を予防したりしなくてもよい。

ただ遊びたいから遊ぶ。

それ以上の理由を提出しなくてもよいのです。

ここで注意したいのは、楽しむことまで新しいノルマにしないことです。

毎日を充実させなければならない。いまや休暇も、有名なテーマパークに行ったりとか、旅行をしたりとか、充実させるための仕事になってきているわけですね。

こうなると、今度は幸福の目標管理が始まります。

今日は特に楽しくなかった。

何の発見もなかった。

一日中、ぼうっとしていた。

そんな日もあります。

それでも、その一日を失敗として処理しない。

役に立たない時間に耐えるとは、怠け者になることではありません。

自分の存在理由を、毎日証明しなくてよいと知ることです。自分で自分の存在を認めるということですね。有用性ではなく、良い悪いもぜんぶ含めた「存在」を認めるわけです。

役に立てる日は、役に立てばよい。

必要とされたら、経験を使えばよい。

しかし、必要とされない日まで、自分から仕事を探し、自分の価値を証明しなくてもよいのです。

・まとめ

最後に、50代から捨てるべきなのは、役に立つことそのものなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

役に立つことは、悪いことではありません。

家族を助ける。

知識を人へ渡す。

地域の仕事をする。

誰かから必要とされ、感謝されることは、人生の喜びの一つです。

Q太郎も、自分の動画が誰かの役に立ったと言われれば、うれしく思います。

ただ、それを自分が存在するための条件にすると、誰からも頼られない日に、自分の価値が消えます。

そして価値を取り戻すために、頼まれていない仕事を作ります。

余計なアドバイスをします。

趣味まで収益化し、自分の生活を切り売りし、家庭の中にも評価制度を持ち込みます。

Q太郎は、50代から捨てるべきなのは、役に立つことではないと思っています。

役に立たなければ、ここにいてはいけないという「思い込み」のほうです。

役に立つのはかまいません。役に立つことは、人生の喜びの一つです。

しかし、自分の価値を証明する入場券ではありません。証明のためにやるものではないわけです。

会社を辞めるときには、社員証や名刺だけでなく、毎日、自分の存在理由を提出する習慣も返してくる。

一円にもならなかった。

誰にも褒められなかった。

何の成果も残らなかった。

それでも、本を読んで面白かった。

散歩をして、風が気持ちよかった。

ゲームをして、少し楽しかった。

あるいは、特に何も楽しくなかった。

それでも、今日を失敗扱いせずに終える。存在そのものを認める。

仕事をしていたころは、役に立つことで居場所を得ました。

しかし退職後まで、自分の居場所を働いて買い続ける必要はありません。

誰の役にも立たない時間を、自分のために使えること。

それが、会社を辞めたあとに手に入る、本当の自由の一つなのかもしれません。

皆さんには、誰の役にも立たないけれど、自分のために続けていることがありますか。また、何もしなかった一日を、失敗だと思わずに終えられるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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