
こんなコメントをいただきました。
「確かに学校で要求される「将来の夢」は、職業で答えることがほとんどですね。「ゲームやってだらだら暮らしたい」とか、人生の方向で答えたら怒られます。これも小さい頃から市場経済中心の発想を育てられているのだとは思います。」
とのことです。ありがとうございます。
以前の動画でも話しましたが、学校で将来の夢を聞かれると、多くの子供は職業で答えるのですね。
サッカー選手です。
パン屋さんです。
医者です。
漫画家です。
こう答えると、先生も安心します。
では、こんな答えはどうでしょうか。
働かないで、だらだら暮らしたいです。
朝からゲームをして、眠くなったら昼寝をしたいです。
たぶん、先生に怒られます。
しかし、これも、将来どのように暮らしたいかという質問への、かなり具体的な答えです。つまり、どんな生活を送りたいのかという、人生全体のデザインですね。
毎日パンを作りたい。
毎日ゲームをしたい。
どちらも、自分が送りたい生活について話しています。
ただ学校で聞かれている夢は、人生観ではなく職業ですし、多くの子供たちは、なんの疑問もなく職業で答えてしまうのですね。
私たちは人生哲学を聞かれているようで、実際は履歴書の希望職種を書かされているわけです。
そして大人になってからも、「好きを仕事にしよう」「やりたいことで生きていこう」と言われます。
好きなことを仕事にできなければ、自分は人生に失敗したような気がしてきます。
でも冷静に考えると、仕事ができる時期なんて、そんなに長くはありません。仕事中心で物事を考えると、FIREや退職後になにをやっていいのかわからなくて、また仕事を始めてしまうのです。これは「どう生きたいのか」ということが決まっていないからですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「仕事で自己実現しなくていい。好きを仕事にという呪い」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、なぜ将来の夢を、職業名で答えるようになったのか。
二つ目、好きなことを仕事にすると、何が変わるのか。
三つ目、職業にならなかった夢を、失敗にしないためにどう考えるのかです。
最後に、将来の夢は、何になり、いくら稼ぐかで決めなければならないのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・夢を職業で答える
それでは一つ目、なぜ将来の夢を、職業名で答えるようになったのかです。
子どものころから、夢には正しい回答形式があります。
何をして暮らしたいかではなく、何の職業に就きたいか。
できれば、社会の役に立つ職業。
それによって、きちんとお金を稼ぐこと。
もちろん、学校は子どもが将来、自立して生活できるように、仕事について考える必要があります。
職業を知り、自分の得意なことや進路を考えるのは大切です。ある意味、これが学校の仕事ですね。社会の役に立つ人材を送り出さなければなりません。
ただ、それが人生の話のすべてになると、少しおかしなことが起こります。
どんな一日を送りたいのか。
どのくらい働きたいのか。
お金と時間の、どちらを大切にしたいのか。
有名になりたいのか、静かに暮らしたいのか。
家族や友人と、どんな関係を作りたいのか。
こうした人生哲学を考える前に、職業名だけを決めます。
パン屋さんになりたい。
では、朝の何時から働くのか。
パンを作ることと、店を経営することの、どちらが好きなのか。
接客や原価管理もしたいのか。
休日が少なくても、その生活を送りたいのか。
そうしたことは、あとに回されます。
夢の名前は決まっていても、夢の中で送る一日は、よく見えていないんですね。
そして、異なる人生を同じ線の上へ並べるときに、便利なのがお金という物差しです。
年収一千万円なら成功。
三百万円なら、もう少し頑張る。
無収入で朝からゲームなら失敗。
人によっては朝からゲームをしているほうが満足度が高いと思うのですが、本人がどれだけ満足しているかは、外から見えません。
しかし、いくら稼いでいるかは数字で比べられます。
お金が、人生を評価する固定した物差しになります。
前回、収入は会社が仕事へ付けた値札であって、人間へ付けた値札ではないという話をしました。
今回は、人間の価値だけでなく、夢の価値まで、お金で測っているという話です。
好きなことが、お金になった。
だから、本物の夢になった。
お金にならなかった。
だから、ただの趣味で終わった。
こうして、夢を実現したかどうかまで、収入で判定するようになります。
・二つ目・好きな行為と、職業は違う
二つ目、好きなことを仕事にすると、何が変わるのかです。
Q太郎は以前、百以上の作品を書いても作家になれず、ひどく追い詰められているように見える人の動画を見ました。
その人は、「書くことが好きだ」と話していました。
そこでQ太郎は、少し疑問に思いました。
書くことが好きなら、百以上の作品を書いた時点で、好きなこと自体は、すでに実現できているのではないか。そのまま一生書き続ければいいだけではないか。そう思うわけですね。
出版社から本を出さなくても、書くことはできます。
現在は、ネットで発表できる場所もあります。たとえばkindleの電子書籍にすれば、それでお金を稼ぐことまで可能なわけです。出版社を通す必要は全然ありません。
自分で本を作ってもよい。
数人の読者へ届けてもよい。
誰にも見せず、自分のためだけに書いてもよいでしょう。
もちろん、職業作家になりたいという夢を、諦めろという話ではありません。
作品を多くの人へ届けたい。
執筆で生活したい。
出版社から評価されたい。
そう願うのは自然です。
ただ、職業にならなければ、書いてきたことには価値がないと思う必要はないはずです。
ここで、少し厳しい問いが出てきます。
好きなのは、書くことでしょうか。
それとも、作家と呼ばれて有名になって、チヤホヤされたいことなのでしょうか。どうも後者が強いような気がしてなりません。
つまり本当の望みと言うのは、作家になりたいわけではなく、有名になってチヤホヤされたいという可能性もあるわけです。それなら作家にこだわる必要もないわけです。
この二つが混ざると、好きだったものが、自分を苦しめる道具になります。
小説を書くことが好きなのと、小説を売る仕事に向いていることは同じではありません。
職業にすれば、読者が求める題材があります。
出版社の企画があります。
締め切りがあります。
宣伝や売上、続刊できる販売数もあります。
好きなものを、好きなときに書くだけではありません。
他人がお金を払いたいものを、決められた条件で作る必要があります。
つまり自分が書きたい事では無くて、市場が求めていることですね。
音楽も同じです。
音楽が好きなら、演奏も作曲もできます。
Youtubeとかネットで発表することもできます。実際にやっている人たちもいます。
しかしそれで食っていこうとするなら、聴き手がお金を払うものを作り、宣伝し、集客し、継続的に売上を出さなければなりません。
音楽が好きなことと、音楽産業の中で商品を作り続けられることは別です。
「好きを仕事に」という言葉は、お金の物差しから自由になったように聞こえます。
しかし実際には、好きなことまで、お金の物差しで測り始める場合があります。Q太郎的にこの言葉が好きじゃないのは、趣味まで資本主義の中に投げ込もうとしているところですね。
小説が好きなら、収益化する。
音楽が好きなら、収益化する。
ゲームが好きなら、配信して収益化する。
好きなことを、ただ好きなまま置いておくことができません。
それでお金を稼がないとダメみたいな話になってきて、小説を書いたり、ゲームをしたりなど、自分のやりたいことをやっているのに、満足感が得られないという結果になってしまうわけです。
この観念を義務教育のうちから植え付けられてしまうので、好きな事を仕事にできなければ失敗したみたいな話になったり、FIREや退職後にやることがないみたいな話になってくるのですね。職業の話で終わっているので、人生の軸や哲学を考えていないわけです。
・三つ目・職業にならなかった夢
三つ目、職業にならなかった夢を、どう考えるのかです。
「好きを仕事にできた人」は目立ちます。
動画になります。
本になります。
インタビューされます。
好きなことで成功し、自由に生きている人の物語は、見ていて気持ちのよいものです。
一方で、生活のために普通に働き、仕事の外で好きなことを楽しんでいる人は、あまり物語になりません。
昼間は会社で働き、夜に小説を書く。
休日に楽器を演奏する。
誰にも売らない絵を描く。
ゲームをして、そのまま楽しんで終わる。
本人が満足していても、成功者として紹介されることはありません。
そのため、世の中には、好きを仕事にして成功した人ばかりが見えます。
そして、「あなたにもできる」と言われます。
できないのは、本気ではないからだ。
努力が足りないからだ。
好きなことを仕事にできない人生で、本当によいのか。
しかし、市場の大きさも、時期も、家庭環境も、資金も、人脈も、運も違います。
成功した一人の話を、全員の人生へ当てはめることはできません。
たとえばゲーム業界で有名なウメハラさんですが、冷静に考えてみると、小さい頃からゲームセンターに通えるという財力があるわけです。ゲームは一回100円とかかかりますしね。子供のころからそんなお金をポンポン出せて、ゲームをやり込めるという環境は、そもそも普通ではないわけです。家にお金の余裕があって、親の理解もないと、かなり難しい。
以前の動画で話した、サンプル数一の世界です。
Q太郎は、仕事が自己実現の場所になってはいけないとは思いません。
好きなことが仕事になり、それで生活できるなら、すばらしいことです。
ただ、仕事は自己実現しなければならない場所ではありません。
それほど嫌ではない。
生活費を得られる。
定時に帰れる。
仕事の外に、好きなことをする時間が残る。
それで十分だという働き方もあります。
仕事に夢を求めないことは、人生を諦めることではありません。
仕事の外に、人生を残すことです。
自己実現も、仕事だけに置く必要はありません。
家族との生活。
趣味。
読書。
創作。
運動。
人との会話。
一人で考える時間。
誰にも見せず、一円にもならない活動の中でも、自分らしく生きることはできます。
むしろ、職業にしなかったからこそ、市場や顧客に合わせず、好きなものを好きなまま守れることもあります。
夢を職業名から考えるのではなく、送りたい一日の形から考えます。
どのくらい働きたいのか。
朝、何時に起きたいのか。
誰と過ごしたいのか。
何をしている時間を残したいのか。
必要な生活を実現するために、いくらあればよいのか。
先に人生観があり、そのあとに、仕事やお金を置きます。
この順番を逆にすると、いろいろ不幸になってしまうのですね。そもそも仕事やお金は外部要因が多いので、自分ではコントロールしづらいのです。運とか、時代の流れとかもありますしね。
・まとめ
最後に、将来の夢は、何になり、いくら稼ぐかで決めなければならないのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
学校で将来の夢を聞かれると、私たちは職業名を答えます。
サッカー選手。
パン屋さん。
医者。
漫画家。
しかし、「働かずに、朝からゲームをして暮らしたい」と答えると、夢としては扱われません。
私たちは人生哲学を聞かれたつもりで、希望職種を書いているからです。
そして、職業になったかどうかを、お金で判定します。
小説を書いてお金を受け取れば、作家。
音楽で生活できれば、ミュージシャン。
一円にもならなければ、ただの趣味。
こうして、好きなことの価値まで、収入で測ります。
しかし、百の作品を書いた人が、作家という職業名を得られなかったとしても、書いた百の作品まで消えるわけではありません。
職業にならなかった夢は、失敗した夢とはかぎりません。書くのが好きなら、百以上の作品を書いた時点で成立しているわけです。仕事になるかどうかは、おまけでしかありません。
Q太郎は、好きなことを、職業にならなかったという理由で嫌いになってしまうことのほうが、人生の失敗だと思います。それで好きなことが一つ消えてしまっているのですからね。
仕事は、自己実現の場所になってもよい。
しかし、自己実現しなければならない場所ではありません。
仕事は生活費を得るためと割り切り、仕事の外で好きなことを続けてもよいのです。
好きなことへ値札が付かなかったからといって、その時間まで無価値になるわけではありません。
将来の夢は、何になって、いくら稼ぐかだけではありません。
どんな一日を送りたいか。
どのくらい働きたいか。
何をしている時間を守りたいか。
そうした人生観も、将来の夢です。というか、老後や、自分が死ぬ直前のことまで考えれば、そっちのほうが重要です。
朝からゲームをして暮らしたいという答えが、本当に自分の望みなら、それも人生哲学です。
実現するためのお金をどう用意するかは、その次に考えればよい。お金はしょせん道具にしかすぎないのです。
夢を先に職業へ変換するから、好きなことまで市場へ差し出さなければならなくなります。
夢を、職業で答えなくてもよい。
まず、どういう一日を送りたいのかを答える。
その一日を支える道具として、仕事とお金を考える。
Q太郎は、その順番のほうが、自分の人生を自分で選べると思っています。じゃないと執着や怒りで、人生がおかしくなります。自分を認めない社会へ復習しようとします。実際、そういう事件が起こってますしね。
皆さんが将来の夢を、職業名を使わずに答えるとしたら、どんな一日になるでしょうか。また、仕事にはしなかったけれど、今も好きなまま続けていることはありますか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
