
こんなコメントをいただきました。
「今は休暇も仕事になっています。以下に楽しい休暇を送れるか、SNSに投稿してイイネを集められるかみたいな感じで、全然休めていないですね」
とのことです。ありがとうございます。
こういうのはありますね。休暇を「いかに楽しく過ごせるか」に力を使い過ぎて、休暇になっていないケースです。
せっかくの休暇だから、旅行へ行く。
有名な店へ行き、行列に並ぶ。
旅行に行けば観光地を全部まわろうとして、テーマパークへ行けば、人気のアトラクションを全部回ろうとします。
高い入場料を払ったのだから、元を取らなければなりません。
休みたいと思っても、せっかく来たのだからと、次の場所へ向かいます。
夜遅く家へ帰るころには、仕事の日より疲れています。
それでも写真はたくさん残っています。
どこへ行ったか、人へ話すこともできます。
だから、充実した休暇だったと思います。
反対に、家で昼寝をして、だらだらして一日が終わったら、何もしていない休暇になります。
体は休めたのに、休暇を無駄にしたような気がします。
これ、少し変な話です。
休暇なのに、どれだけ休めたかではなく、どれだけ多くのことをしたかで、成功を判断しているからです。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「50代から休暇を頑張らない。充実した休日で消耗する人たち」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、仕事を休む時間だった休暇が、どのように大衆的なレジャーの時間へ変わったのか。
二つ目、なぜ私たちは、休暇にまで成果を求めてしまうのか。
三つ目、50代からは、何を基準に休暇の成功を判断すればよいのかです。
最後に、「何もしていない休暇」は、本当に失敗なのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・休暇がレジャーになった
それでは一つ目、仕事を休む時間だった休暇が、どのように大衆的なレジャーの時間へ変わったのかです。
旅行や娯楽は、昔からありました。
ただ、現在のような、消費中心のレジャー形式の休暇は、近代以降に広がりました。休暇が増えたことで、何をやっていいのかわからない労働者たちに、企業がレジャーという「商品」を売りつけたのですね。「何をやっていいのかわからなければ、我々企業が考えてあげましょう。用意してあげましょう」というわけです。
ヨーロッパでは、二十世紀前半に有給休暇制度が広がったことが、大衆旅行の土台になったとされています。
そして第二次世界大戦後、経済が成長し、一般の労働者も旅行へ使えるお金を持つようになると、商業的なパッケージツアーが普及していきました。
日本でも、国土交通省の資料では、昭和三十年、つまり一九五五年以降、所得が増え、余暇の機会も増えたことで、社員旅行や慰安旅行が広がったと整理されています。
さらに東京オリンピックや大阪万博の時代を経て、旅行が大衆化しました。
所得水準の上昇と余暇時間の増大、そして「どうやって時間を潰せばいいのかわからない人たち」の増加にともない、観光やレクリエーションが生活の一部として定着したのです。
何をやっていいのかわからなければ、旅行パッケージを作ったので、これを買って旅行へ行きましょう。
何を遊んでいいのかわからなければ、テーマパークを作ったので、そこへ行きましょう。
キャンプをしましょう。
特別な体験をしましょう。
せっかくの休日を、家で過ごすのはもったいない。
レジャー産業は、自由時間のさまざまな使い道を売ってくれます。
これも、それ自体が悪いわけではありません。
問題は、使い道を選べるようになったことが、何かを選ばなければならないという義務へ変わることです。
仕事をしないために手に入れた時間を、今度は充実させなければならない。「充実した休暇」「充実した老後」という、キラキラワードが出てくるわけです。というか、企業マーケティング的にそうするわけです。そうやって消費してもらわないと、経済もまわりませんし、企業が困るわけですね。
そういう経済を回す視点から見ると、Q太郎みたいに「図書館行って楽しかった」とか、「散歩して楽しかった」とか、クソみたいなことを言っているやつらには早く滅びてもらいたいわけです。
そんな感じで休暇は、企業広告や消費と結びつき、仕事から離れる時間であると同時に、限られた自由時間を効率よく消費する、もう一つの仕事になってきたわけです。
ちなみにQ太郎は高校のころ、遊園地でバイトをしていたことがあります。ジェットコースターやお化け屋敷、ヒーローショーの敵役、ゴーカートのオイル交換、果てはジャングルクルーズの船の運転までやらされて、ひと通り全部やった感があります。
そのため遊園地やテーマパークへ行っても、視点が従業員側なので、あんまり楽しめないというのがありますね。マスコットキャラの着ぐるみを見ても、「暑くて大変そう」みたいに思ってしまって、気の毒に感じてしまって、楽しめないわけです。
・二つ目・休暇の成果物を作る
二つ目、なぜ私たちは、休暇にまで成果を求めてしまうのかです。
連休が終わり、会社へ行くと、こんなことを聞かれます。
「休みは、何をしていたんですか」
旅行へ行きました。
家族でテーマパークへ行きました。
キャンプをしました。
こう答えれば、話が続きます。
では、「家でだらだらしてました」と答えたら、どうでしょうか。
少し恥ずかしく感じる人もいると思います。
せっかくの休暇を無駄にした人のように見えるからです。
仕事には、売上、契約、資料などの成果物があります。
休暇では、写真や思い出話が成果物になります。
どこへ行ったのか。
何を食べたのか。
何を初めて体験したのか。
どれだけ多くの場所を回ったのか。
会社では業務日報を書きます。
休暇では、写真付きの休暇日報を作ります。
誰からも提出を求められていないのに、充実していた証拠を残します。
何もしていなければ、報告できることがありません。
だから、休むことより、報告できることを増やそうとします。
ここには、お金の問題もあります。
高い交通費を払った。
ホテル代も払った。
テーマパークの入場料も払った。
それなら、できるだけ多く回り、支払ったお金の元を取らなければなりません。
ホテルで昼寝をしていたら、損をした気がします。
疲れていても、次の観光地へ向かいます。
平日は、仕事の時間から元を取る。
休日は、払ったレジャー費から元を取る。
結局、一週間ずっと成果主義なのですね。
しかも現在は、若い人が旅行やテーマパークを楽しんでいる動画を、いくらでも見られます。
朝から夜まで動き回る。
人気の場所を次々と回る。
食事をしたあと、さらに別の店へ行く。
それを見て、充実した休日とは、このように過ごすものだと思います。
しかし、若い人と50代では、体力も回復に必要な時間も同じではありません。あれ、マネしちゃだめだと思います。少なくともQ太郎には無理です。大阪万博へ行ったときも、どのパピリオンにも入らずに出ていきましたしね。並ぶ体力も気力も無い。
それでも、休暇らしいことをしなければと思い、頑張って遊ぼうとする人もいます。
遊ぶことが、休息ではなく、予定を消化する仕事になります。
旅行やテーマパークへ行くことが問題なのではありません。
疲れると分かっていても、本当に行きたい場所はあります。
その疲れまで含めて楽しいのなら、行けばよいと思います。
問題は、本心から行きたいから行くのか。
それとも、充実した休日に見せるため、休暇らしい成果を作りに行くのかです。もしくは宣伝や、話題の場所だから行くとかですね。
ここを分けないと、会社の勤務表が、旅行の日程表へ変わっただけになります。
・三つ目・疲れが減ったら成功
三つ目、50代からは、何を基準に休暇の成功を判断すればよいのかです。
旅行へ行かなかった。
テーマパークにも行かなかった。
新しい経験もしていない。
家でダラダラした。
それだけで休暇が終わります。
成果主義の物差しなら、何もしていない一日です。
しかし夜になって、仕事の日より体が楽になっている。
頭の中の緊張が、少しほどけている。
明日から、また普通に動けそうだと感じる。
それなら、休暇としては成功です。ちゃんとHPを回復させてますしね。
休暇の目的は、他人へ報告できる思い出を作ることだけではありません。
疲れを取る。
予定から離れる。
自分の速度を取り戻す。
企業の宣伝や話題に振り回されずに、何をするか、どこへ行くのか、自分で決められる状態を味わう。
こうした変化は、写真には写りません。
数字にもなりません。
人へ説明しにくいので、成果として見えないだけです。
「何もしていない」は、休暇については、むしろ予定どおりかもしれません。
もちろん、休日は必ず家で寝て過ごせという話ではありません。
休み方は、その日の体力や気分によって変わります。
朝からテーマパークへ行きたい日は、行けばよい。
旅行をしたいなら、すればよい。
ただ、若い人と同じ量を回らなくてもよいと思います。
観光地を五ヶ所回る予定を、一ヶ所にする。
午後はホテルへ戻る。
テーマパークで、すべてのアトラクションへ乗ろうとしない。むしろ、まったく乗らないぐらいでもいい。雰囲気だけ味わう。
疲れたら、予定が残っていても帰る。
支払ったお金の元を取るより、自分の体力を使い切らないことを優先します。
ヨーロッパのバカンスは、数週間ずっとおなじ場所にいて、朝から本を読んでダラダラと過ごすといった、ガチの休暇をとる人が結構います。旅行には行くけど、観光地とかいっさい行かずに、旅館やその周辺でずっとダラダラしているのですね。
まあ、休暇を一気に何もしない日に変える必要もなくて、たとえば予定を一つ減らす。
出発時間を少し遅くする。
何も入れない午後を作る。
その程度から、休暇を頑張らない練習をします。旅行へ行ったときも、観光地をまわる数を減らすとかですね。
休暇の充実を、体験の数で測らない。
それで休暇が終わったとき、疲れが減っているかを見る。
50代からは、遊べた量ではなく、自分をととのえることができたかどうかを、休暇の基準にしてもよいと思います。
・まとめ
最後に、「何もしていない休暇」は、本当に失敗なのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
近代以降、労働者は、有給休暇や自由時間、旅行へ使える所得を少しずつ手に入れました。
旅行やレジャーが大衆化し、多くの人が、仕事の外でさまざまな体験を楽しめるようになりました。
これは、豊かさがもたらした大切な自由です。
しかし、選べる体験が増えた結果、休暇には何かをしなければならないと思うようになりました。そこに企業の広告とかものっかってくるわけです。
何もせず家にいるのは、もったいない。
有給休暇には、価値のある予定を入れなければならない。
旅行へ行ったら、支払ったお金の元を取らなければならない。
そして、仕事を休むために手に入れた時間が、充実した休暇を作るために働く時間へ変わります。
会社では、何を達成したかを報告する。
休暇では、どこへ行き、何を体験したかを報告する。
仕事を休んでも、成果主義は休んでいません。
Q太郎は、休暇は充実させる仕事ではないと思っています。
企業マーケティングや話題に振り回されず、自分主体の時間を過ごせて、疲れもとれたら大成功ですね。ようするに、身も心もきちんと休めるかです。
仕事では、何をしたかが大切です。
しかし休暇では、何をしなかったかにも価値があります。この余白が重要だと思うのですね。
予定を入れなかった。
人に会わなかった。
遠くへ行かなかった。
何かしなければならないという義務からも、少し離れた。
労働者が手に入れた休暇は、仕事をしない権利です。
広告や話題に振り回されて、旅行やレジャーを成果のように詰め込み、疲れ切って帰ってくる義務ではないとは思います。若い人はそれでもいいですが、おっさんにはきつい。
休暇を豊かにするものは、体験の量ではなく、時間の使い道を誰にも決められていないことです。
50代からは、若い人と同じように遊ぶよりも、自分の体力に合った速度で休んだほうがいいとは思いますね。ゲームも朝からやっていたら結構体力や判断力を奪うので、そのあたりもほどほどにしたほうがいいとは思います。ほどほどが最強ですね。仏教的にも中道が最強ですしね。
皆さんは、休暇を充実させようとして、かえって疲れた経験がありますか。また、何もしなかったけれど、よい休みだったと思える日はあるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
