
こんなコメントをいただきました。
「相続についてですが、子供のためにお金を残すのはいいとしても、それを頑張りすぎて自分が使えないのは本末転倒だとは思いますね。子供にお金を残し過ぎても、子供が駄目になってしまうこともあります。子供同士で遺産争いとかは最悪ですね。そもそも成人した子供は一個人ですから、そこまで支える必要があるのかも疑問です」
とのことです。ありがとうございます。
老後のお金の話をしていると、よく出てくる言葉があります。
「自分が使わなければ、子どもに残せる」
旅行へ行こうかと思ったけれど、やめておく。少しよい物を買おうと思ったけれど、今ある物で我慢する。家を直したほうが暮らしやすいけれど、まだ使えるから、そのままにする。
自分はもう年だから、そんなにお金を使わなくてもいい。それより、子どもへ少しでも多く残したい。
親としては、かなり立派な考え方に見えます。
ただ、Q太郎は少し引っかかります。
老々介護のこの時代、相続を受け取るころ、子どもはいったい何歳になっているのでしょうか。
相続というと、なんか子どもがまだ未成年みたいなイメージを持つ人が多いと思うのですが、親が90歳まで生きて、そのとき子どもが60歳なら、子どももすでに老後へ入っています。それが今の時代の現実とは思います。子どもを通り越して、いい年しすぎた大人というか、下手すれば高齢者なのですね。
若いころには、住宅費や教育費で苦労していた。子育てと仕事が重なって、時間もお金も足りなかった。けれど、その時期には親のお金を使わず、全部が終わったあとに相続として届く。
もちろん、60歳でもお金はありがたいでしょう。
しかし、同じ100万円でも、子どもが30代で子育てをしているときの100万円と、60代で生活が固まったあとの100万円では、使える力が違います。
贈り物として届くには、少し遅すぎる気もしますね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。今回は「相続は遅すぎる贈り物なのか」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、相続が届くころには、子どもも年を取っていること。
二つ目、子どもに残すための我慢は、本当に子どものためなのか。
三つ目、残すお金と今使うお金を、どう考えるかです。
最後に、相続というものについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・相続が届くころには遅い
それでは一つ目、相続が届くころには、子どももいい年をした大人になっていることです。
親から子どもへ財産を残す。
この言葉だけ聞くと、まだ若い子どもが、親から何かを受け取る場面を想像しやすいと思います。ほとんどの人のイメージがこれだと思います。ガチの子どものイメージなのですね。
しかし実際には、親が長生きすれば、受け取る子どもも当然それだけ年を取ります。
子どもと呼んでいますが、50代、60代です。いい年したおっさん・おばさんです。場合によっては、すでに年金生活へ入っています。現在の平均寿命だと、こっちのほうが現実的なイメージです。いま子どもが未成年なのを見て、将来もずっとそのままみたいに思いがちになってしまうのは、注意が必要でしょう。
お金が最も必要だった時期は、もっと前だったかもしれません。
結婚したころ。家を買ったころ。子どもが生まれたころ。仕事がうまくいかず、収入が落ちたころ。
そのときに10万円あれば、少し呼吸ができた。そのときに家事を手伝ってもらえれば、仕事を辞めずに済んだ。そのときに家族で旅行へ行ければ、子どもが小さいうちの思い出を作れた。
お金には、金額だけではなく、使える時期があります。
冬服を真夏にもらっても、今すぐには役に立ちません。
老後になってから大きなお金を受け取っても、もう住宅ローンを払い終えていたり、子どもも独立していたり、体力が落ちて旅行へ行きにくくなっていたりします。
同じ金額でも、人生のどこへ置くかによって価値が変わるのですね。
これは、早く全部贈与しましょうという制度の話ではありません。そこまで甘やかす必要もない気もします。
親も、これから何年生きるかわかりません。医療費や介護費がかかるかもしれません。自分の生活を守るお金を、先に手放してしまうのは危険です。
ただ、「最後まで使わずに残せば、それが最も子どものためになる」とは限らないと思います。遺産目当てで子どもが自立できなかったり、子ども同士の遺産争いとかに突入したりしたら最悪です。
将来の大きな相続より、今、一緒に食事をする。孫と出かける。子どもが本当に困っている時期に、無理のない範囲で助ける。
そういう使い方のほうが、お金の力を大きく使える場合があります。
遺産は残せても、子どもと一緒に使える時間は残せませんしね。
・二つ目・その我慢は誰のためなのか
二つ目、子どもに残すための我慢は、本当に子どものためなのかです。
「自分が我慢すれば、子どもに残せる」
この考え方には、反対しにくいところがあります。
本人が本当に使いたくないなら、それでよいのです。旅行が嫌いな人へ、「老後だから旅行へ行け」と言う必要はありません。高級な食事に興味がなければ、食べなくてよいでしょう。
問題は、やりたいことがあるのに、「子どものため」という理由で我慢している場合です。
子どもの側は、本当にそれを望んでいるのでしょうか。
親が寒い家で暮らして、壊れかけた家電を使い、行きたかった場所にも行かず、最後にお金だけを残す。
子どもからすると、「そこまでして残さなくてもよかったのに」と思うかもしれません。しかも先ほどもいったように、いまの平均寿命からすれば、子どもはいい年したおっさん・おばさんです。未成年のイメージからは離れた方がいいとは思います。
むしろ、親が自分のお金を使って、機嫌よく暮らしてくれるほうが助かる場合もあります。
親が自分の生活を削りすぎると、その反動が子どもへ来ることもあります。
家の修理を先延ばしにして、最後に大きな修繕が必要になる。健康のための出費を惜しんで、通院や介護の負担が増える。物を捨てるのがもったいないとため込み、片づけを子どもへ残す。Q太郎的には、物のため込みは本当にやめてほしい。相続で一番迷惑です。
そんな感じで、お金は残ったけれど、同時に大量の仕事も残った。
これでは、何を相続したのかわからなくなります。
話は少しそれますが、相続という言葉には、お金や家だけを受け継ぐような響きがあります。
しかし実際には、親の暮らし方も残ります。
よく笑って暮らしていた親の記憶も残れば、何でも我慢して、古い物に囲まれ、「全部あなたたちのためだった」と言う親の記憶も残ります。
後者は、受け取る側にとって、かなり重い贈り物です。しかもだいたいそのころには、子どもはいい年したおっさん・おばさんなわけです。
子どもに残すために我慢したはずなのに、子どもへ罪悪感まで相続させてしまうのですね。
Q太郎は、子どものためという言葉を使うとき、一度だけ考えたほうがよいと思います。
これは本当に相手が望んでいることなのか。それとも、自分がお金を使うことへの不安を、「子どものため」と言い換えているだけなのか。
もちろん、その答えは本人にしかわかりません。
ただ、残すことは無条件に愛情で、使うことは無駄遣いだという分け方は、少し乱暴だと思います。
自分が元気に暮らすために使うお金も、家族への負担を減らすお金です。
そして相続する子どもは、いい年したおっさん・おばさんです。未成年のイメージからは、本当に離れたほうがいいとは思います。
・三つ目・残高ではなく配分を考える
三つ目、残すお金と今使うお金を、どう考えるかです。
老後のお金について考えると、どうしても最後の残高が気になります。
亡くなったとき、いくら残っているのか。
しかし、自分が何歳まで生きるかわからない以上、最後の残高をぴったり決めることはできません。
使い切ろうとして足りなくなるのも困ります。残そうとして、使える時間を全部失うのも困ります。
だからQ太郎は、全額を使うか、全額を残すかという話ではないと思っています。
まず、自分が暮らすためのお金を確保する。医療や介護、家の修繕など、起こりそうなことへの余裕も持つ。
そのうえで、残りをただ凍らせるのではなく、今の自分や家族へどう配るかを考える。
ここで大切なのは、子どもへ現金を渡すことだけではありません。
一緒に食事をすることもできます。会いに行く交通費へ使うこともできます。自分の家を安全にして、子どもが心配せずに済むようにすることもできます。
自分が楽しむために使ってもよいのです。
親が元気なうちに、行きたかった場所へ行く。その話をあとで家族へする。それも、家族に残るものだと思います。
お金をそのまま残すことだけが、何かを残すことではありません。
お金を使って作った時間や、家族が一緒に見た景色も残ります。
一方で、子どもが困っているからといって、自分の老後資金まで渡す必要はありません。
親が自分の生活を守れなくなれば、結局は子どもが支えることになります。
援助したつもりが、将来の負担を前倒ししただけになることもあります。
ですから、最初に守るべきなのは、自分が最後まで自分の生活を続けられることです。
その土台を守ったうえで、余裕の一部を、届くのが遅すぎる相続から、今使えるお金へ移していく。
大げさな贈与でなくてもよいと思います。
家族で食事をする。少し遠くへ出かける。孫が小さいうちに会いに行く。
金額より、期限のあることへ使うのですね。
・まとめ・相続は使い切れなかったお金でもある
最後に、相続というものについて、Q太郎なりの見立てを置きます。
相続は、子どもという名のおっさん・おばさんのために残すお金であると同時に、親が自分の人生へ使い切れなかったお金でもあります。
もちろん、残ること自体が悪いわけではありません。
最後まで何が起こるかわからないのですから、余裕を持っていた結果として残る。それは自然なことです。
しかし、残すことを最初から人生の目的にして、自分がやりたかったことまで削り始めると、少し話が変わります。
子どもへ残すはずのお金によって、親の現在が貧しくなっているからです。
しかも、そのお金が届くころには、子どもも年を取っています。おっさん・おばさん、へたすればおじいさん・おばあさんです。未成年のイメージは、本当に捨てた方がいいと思います。いま子どもが未成年なのを見て、将来もずっとそのままみたいに思いがちになのですね。
親が我慢した時間は戻りません。子どもが若かった時間も戻りません。
お金だけが、家族の時間に遅れて到着します。
Q太郎は、相続とは、最後に残った金額だけで測るものではないと思います。
自分の暮らしを守れたか。元気なうちに使えたか。家族と使える時間に間に合ったか。
その配分まで含めて、初めて相続なのではないでしょうか。「お金」という物差しだけで物事を見ないほうがいいとは思います。
子どもに何を残すかを考える前に、子どもと今、何に使えるかを考えてみる。
全部を残さなくてもいい。全部を使い切らなくてもいい。
ただ、お金を愛情の証拠として凍らせない。
今のところ、Q太郎はそんなふうに考えています。
皆さんは、親から残してもらうお金と、親が元気なうちに一緒に使うお金なら、どちらがうれしいでしょうか。また、自分のお金を誰かへ残すために、やりたいことを我慢した経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
