タイパで「何者か」になろうとする人|オタクになる方法を探す時代

タイパで「何者か」になろうとする人|オタクになる方法を探す時代
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。映画や動画を倍速で観る人が増えています。興味がないなら観なければよく、好きなら普通に観ればよい。それでも私たちは、なぜコンテンツを急いで処理するのでしょうか。今回は廣瀬涼さんの著書『タイ...

こんなご質問をいただきました。

「映画や動画を倍速で観る人が増えていますが、そこまで時間を短縮して、何をしたいのかわかりません。

興味のない作品なら観なければよいと思いますし、好きな作品なら普通に観ればよいと思います。逆にタイパが悪いと思います。

何でもタイパを求めることについて、Q太郎さんはどう思いますか?」

とのことです。ありがとうございます。

廣瀬涼さんの著書『タイパの経済学』では、タイパには、単なる時短とは違う使われ方があると述べられています。

昔は、タイパというのは、時短を指していました。そもそもタイパではなく、「時短」という言い方をしていましたね。

食事の準備を短くする。家事を機械に任せる。通勤時間を減らす。

こうした時短は、やらなければならない作業を早く終わらせ、別のことへ時間を使うためのものです。洗濯機や掃除機など便利製品の発明も、基本的には時短が目的なわけです。タイパの概念自体は昔からあったということですね。

一方で、現在のタイパには、「何者かになるための過程を飛ばす」という側面があります。

たとえば映画を倍速で観る。途中を飛ばす。先にネタバレを読む。さらに時間を短縮するなら、映画そのものを観ず、あらすじだけをネットで読んだりします。

映画を楽しみたいのであれば、これは不思議な行動です。

しかし目的が、映画を楽しむことではなく、「映画を観た人になること」なら合理的な行動とも言えます。

映画について人と話したい。流行に遅れたくない。映画好きのコミュニティーへ入りたい。映画オタクというタグを自分につけたい。

目的は、映画を楽しむことではなく、人とのつながりや、自分が何者なのかを示すことです。

映画は、その状態へ到達するための手段にすぎません。

手段であれば、いくら省略してもよいのですね。そもそも観ないで、ネタバレを読むだけでもいいわけです。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「タイパで何者かになろうとする人」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、時短と「観た状態への近道」は違うこと。

二つ目、オタクが隠す状態から、取得するタグへ変わったこと。

三つ目、タイパが本当に好きなものまで侵食する問題です。

最後に、タイパで省略してよい時間と、省略してはいけない時間をどう分ければよいのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・時短と観た状態への近道は違う

それでは一つ目、昔までの時短と、現在のタイパ、すなわち「観た状態への近道」は違うことです。

洗濯機を使う。電子レンジを使う。目的地まで速い電車で移動する。

これらは、本来の目的までに必要な手段を短縮しています。

洗濯そのものを一日中楽しみたいわけではありませんし、通勤電車へ長く乗ることが目的でもありません。

短くして困らない過程であれば、どんどん短縮すればよいと思います。

しかし映画や小説、音楽、ゲームは少し違います。これはぶっちゃけ、無くても困らないもの、やらなくてもいいことです。

それでもやるのは、自分が楽しみたいからですね。

登場人物の感情を追う。映像を見る。音楽を聴く。次に何が起こるのかを考える。

その過程そのものが商品です。

映画を倍速で観るのは、旅行先へ早く到着することではありません。

旅行そのものを早送りするようなものです。

ただし、ここで目的が変われば話も変わります。

『タイパの経済学』では、コンテンツが持つ価値として、自分が作品から直接得る文化的な価値だけでなく、人との交流や所属につながる関係的な価値が扱われています。

映画そのものに感動したいなら、文化的な価値が目的です。その場合、普通に映画を観て楽しめばいいだけです。こちらのほうが本来の目的なのですね。

一方で、話題についていきたい。友人と会話したい。SNSで感想を言いたい。映画好きの集まりへ入りたい。

こちらは、関係的な価値が目的です。

関係的な価値を得るために必要なのは、作品のあらすじ、有名な場面、世間の評価、会話で使える感想などです。

そこだけ押さえれば、会話へ参加できます。

この場合、映画は目的ではなく、人とつながるための教材です。

教材であれば、試験に出るところだけ覚えればよい。

倍速視聴やネタバレは、本人の目的に対して合理的なのですね。

だから、倍速で観ること自体を悪いとは思いません。目的がそもそも違うからです。

問題は、自分が文化的な価値と関係的な価値のどちらを求めているのか、分からなくなることです。

・二つ目・オタクは隠す状態から取得するタグになった

それでは二つ目、オタクが隠す状態から、取得するタグへ変わったことです。

昔のオタクは、最初からオタクになろうとしたわけではありません。

映画が好きだから何本も観る。好きな監督について調べる。関連する本を読む。面白い作品だけでなく、つまらない作品まで観る。

頼まれてもいないのに、それを長く続ける。

その結果、気づけば周囲からオタク扱いされていたわけです。

つまり、オタクは目的ではなく結果だったのですね。

しかも以前は、オタクという言葉に否定的な印象が強くありました。

本人は、むしろ自分がオタクだとバレないように隠していました。

オタクは、今日だけ名乗って明日はやめるようなものではありません。

仕事中でも、食事中でも、次に観る作品を考えている。誰にも見られていなくても、好きなものを調べている。

一日の活動ではなく、24時間続いている「状態」だったわけです。その人そのものがオタクなのですね。

ところが現在は、「オタ活」という言葉があります。

今日は映画のオタ活をする。次はアイドル、その次はアニメやゲームのオタ活をする。

オタクが状態ではなく、自分へ貼るタグになったのですね。

昔と違ってオタクの意味も変わってきて、「〇〇に詳しい人」みたいな感じになっています。あまりネガティブなイメージはありません。

昔はオタクとバレない方法を考えていたのに、今は「どうすれば映画オタクになれますか」と検索します。

何本観ればよいのか。どの名作を押さえればよいのか。どの監督を知っていればよいのか。

映画オタクになるための必修科目や最短ルートを探します。

目的と結果が逆になっています。

映画を好きになった結果、映画オタクと呼ばれるのではありません。

映画オタクというタグを取るための作業として、映画を処理するのです。それは果たしてオタクなのかという疑問も残りますし、「タイパの経済学」でもそれは指摘されていますね。

さらに一つのジャンルへ大量の時間やお金を使うと、それが自分に合わなかったときの損失が大きくなります。

そこで映画、アニメ、ゲーム、音楽、アイドルなど、複数のジャンルへ時間とお金を少しずつ配ります。

いわば、オタクの分散投資です。

どれかに飽きても、損失は小さい。タグを剥がし、別のタグへ張り替えればよい。

これはある意味、合理的です。

一つのものへ人生を賭ける必要がなく、複数のコミュニティーへ参加できます。

ただし分散しすぎれば、一つ一つへ使う時間は少なくなります。

たくさんのタグを持っているのに、自分が本当に何を好きなのかは分からない。

大きく失敗しない代わりに、大きく好きになるものもなくなるのですね。そしていつでもやめられますし、いつでも新しいものに乗り換えられます。

ただ、ゲームもアイドルも、あくまで「共同体」に所属するための手段でしかないわけで、それらを学ぶための時間はできるだけ省略したいわけです。

・三つ目・好きなものまでタイパで処理する

それでは三つ目、タイパが本当に好きなものまで侵食する問題です。

人との会話についていくためだけの映画なら、倍速でも要約でもよいと思います。

仕事に必要な本なら、要点だけ読むことも合理的です。目的が違うところにあるからですね。

ところが効率よく処理する見方に慣れると、本来自分が好きなものまで早送りし始めます。ここが大きな問題になってきます。

楽しみにしていた映画なのに倍速で観る。好きなゲームなのに攻略情報を見て最短で終わらせる。旅行へ行っても、写真を撮ったらすぐ次の観光地へ移る。

趣味に成果と納期が生まれます。

映画は観た本数、読書は読了冊数、ゲームはクリア本数、旅行は訪問した場所の数で評価されます。

楽しむはずだったものが、処理するための仕事になってくるのですね。

そして早く処理して浮いた時間で、さらに多くの作品を処理します。もはや、やっていることの意味がわかりません。

本来、浮いた時間は、自分の楽しみをするための時間なのに、そこにもタイパ処理をぶち込んでいくわけです。

これでは、いつまでたっても時間に余裕はできませんし、逆にタイパが悪い。

一日にたくさんの作品を消化しているのに、心には何も残らない。

多くの人とつながるためのタグは増えているのに、自分が何を好きなのかは見えなくなる。

タイパを追求することで、時間を節約しているつもりが、自分の楽しみや経験そのものを薄くしている可能性があります。

失敗する作品を避け、つまらない部分を飛ばし、結論だけを先に知る。

しかし、知識なしで、なにが起こるかわからない映画を観たり、ゲームをしたりするドキドキ感や体験も同時に失ってしまいます。

また、つまらない映画を観た時間や、合わない本を途中で閉じた経験も、自分の好みを知る材料になります。

失敗しない代わりに、好きなものも見つからなくなるのなら、少しもったいないとは思います。

Q太郎的には、図書館で適当に見つけた本を最後まで読んで、「頑張って読んだけど、つまらなかった」というのが、一番贅沢な楽しみだとは思いますね。

映画も事前知識なしで観に行って、最後まで観て、「くそつまらなかった」というのは、とても贅沢な楽しみとは思います。昔、事前知識なしで観た「ウォーターワールド」はかなりヤバかったですね。眠気で何度も気を失いそうになりました。逆に事前知識なしで観た「トゥエルブ・モンキーズ」はめっちゃ面白かったです。

・Q太郎の見立て・人生の目的まで省略しない

ここからは、Q太郎なりの見立てです。

Q太郎は、タイパが悪いとは思いません。

家事、通勤、仕事の単純作業など、短くして困らないものは短くすればよいでしょう。

人との会話へ参加するために、興味の薄い作品のあらすじだけを知ることもあります。

関係性を作るための消費なら、効率化することにも意味があります。

ただし、自分の精神を満たすための時間まで効率化すれば、人生そのものを省略することになります。

効率とは、目的地へ早く到着するためのものです。

しかし途中そのものが目的なら、早く終わることは成功ではありません。

好きな映画を観る時間、ゲームで迷う時間、本を読んで意味が分からず考える時間。

それらは、何者かになるまでの無駄な過程ではありません。

その時間を過ごしていること自体が、人生です。

何者かになりたいなら、先にタグを選び、最短ルートで取得しなくてもよいと思います。

好きだから続ける。誰にも見られていなくても調べる。時間を忘れて夢中になる。

その結果として、あとから何か名前がつけばよいのですね。

オタクというタグを取るために作品を観るのではなく、作品を楽しんでいたら、いつの間にかオタクになっていた。

その順番のほうが、自分の好きなものを見失わずに済みます。というか、昔のオタクはそもそもがそういう「状態」だったわけです。状態なので、つけたり剥がしたりはできないのですね。

そんな感じで、タイパで省略してよいのは、人生の目的へ向かうための手段です。

自分が好きなものを楽しむ時間まで、他人とつながるための手段にしなくてよいのではないかと思いますね。仕事化している感じがありますしね。

あと最近は倍速で観ることが前提で、アニメや映画は、しぐさや表情、まの取り方ではなく、セリフで状況を説明するみたいなつくりになってきているという話もありますね。早送りしたら、まもクソもありませんしね。

皆さんは、映画や動画を倍速で観ることがありますか。

また、時間を忘れて楽しめるものがあれば、コメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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