
こんなご質問をいただきました。
「立場の違う相手との会話ですが、なぜその結論に至ったのかを聞くことが重要というのはわかりましたが、もう少し詳しくお願いします。」
とのことです。ありがとうございます。
例えば、捕鯨に反対している人と、捕鯨を続けてもよいと考えている人が、話をするとします。
クジラを食べてはいけない。
いや、クジラを食べるのは日本の伝統だ。
こうやって結論をぶつけ合うと、なかなか会話になりません。なぜなら、結論を言い合っているだけだからですね。
なぜその結論に至ったか、お互いがそれを理解しようとしていないからです。
しかも、相手が話している内容より前に、相手への警戒がある場合があります。
捕鯨反対派なら、船を使った危険な妨害や暴力行為まで支持しているのだろう。
同じ側の人間なのだから、どうせああいう連中と同じだろう。
そういう極端な例をとりあげられて、そういう連中と思われていたら、何を説明しても、話を聞いてもらえないわけです。
もしかしてほかに理由があって、その結果、捕鯨反対にたどり着いたのかもしれませんが、そういう話にたどり着く前に、「どうせクジラのためなら暴力賛成なんだろ」みたいな話になってくるわけです。
これはすでに会話に失敗しているパターンですね。
会話の基本は、相手とおなじ立場に立てるかどうかです。
しかし捕鯨賛成派と反対派がおなじ立場に立てるでしょうか?
実は立てる方法があります。「自分側の」極端な連中を批判することです。
例えば捕鯨反対派が、こう言ったらどうでしょうか。
「私は捕鯨には反対ですが、船をぶつけるとか、ああいう暴力的な行為はよくないですね。あのやり方は支持できません。あいつらはダメです」
というわけですね。
つまり捕鯨賛成派は、こういう極端な暴力行為を嫌っている。同様に、捕鯨反対派でも、こういう暴力行為をする極端な連中は嫌っている。こういうやつらは仲間じゃない。
つまり、「極端な捕鯨反派を嫌っている」という点で、意見が一致しているわけですね。同じ立場に立てているわけです。
これで会話の土台であるラポールが成立するわけです。ラポールとは、相手に安心感を与えることですね。それで相手も、ステレオタイプな捕鯨賛成派としてあなたを見なくなります。
例えば左翼だったとしても、中国やソ連のやり方を「ああいうのはよくない」と批判すると、この人は「話せる左翼」になるわけです。近年人気のマルクス経済学者である斎藤幸平さんとかは、これをうまくやっている感じはありますね。まず身内の極端な連中を批判することで、「身内でも極端な連中はかばわない」という姿勢をつくり、聞く側を安心させるわけです。むしろ左翼であることを面白がられていますね。
そんな感じで、今回考えたいのは、結論で戦う前に、その場所をどう作るかという話です。結論が重視され過ぎることが対立を生んでしまうのですね。SNSはとくにこれが顕著です。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「意見が違う相手と話すための具体的な方法」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、相手が警戒しているのは誰なのか。
二つ目、自分側の問題を批判すること。
三つ目、結論ではなく、そう分かった経緯を聞くことです。
最後に、陣営ではなく人と話すことについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・相手は誰を見ているのか
それでは一つ目、相手が警戒しているのは誰なのかです。
以前紹介した、ピーター・ボゴジアンさんとジェームズ・リンゼイさんの共著「話が通じない相手と話をする方法」を、今回も参照します。
前回は、会話にはラポールが必要だという話をしました。
ラポールはフランス語ですが、ここでは相手が安心して話せる、信頼の土台のことですね。
政治や宗教のように、立場が強く分かれる話では、相手は最初から、この人は自分を攻撃するつもりだと思っていることがあります。お互いに、相手に対するステレオタイプな思想を持っていますしね。
イスラム教徒に対して「おまえら、自爆テロばっかりするだろ」と言えば、向こうもキリスト教徒に対して「おまえらも十字軍でたくさん殺しただろ。魔女狩りしただろ」と言ってくるなど、ひたすらステレオタイプで不毛な会話に突入するわけです。おたがいにおたがいの極端を攻撃しあうのですね。
そうなると、話を理解するより、自分を守ることが先になります。
しかも、見ているのは、相手側の一番怖い人物像です。
左派の人ならこうだろう。保守派の人ならこうだろう。
テレビやネットで見た、強烈な主張をする人の姿を、そのまま目の前の相手へ重ねているのですね。
捕鯨の話でも、反捕鯨団体による船への体当たりなどの印象が強ければ、穏やかに捕鯨反対を話す人まで、全部同じように見えてしまうのでしょう。「左翼は暴力的」「右翼は差別的」みたいな感じです。
ここで大切なのは、相手がこちら側のどんな極端な連中を嫌っているかを知ることです。
自分はそんな人間ではないと思っていても、それが相手へ伝わっていなければ、会話の入口は閉じたままです。
一番ダメなのが、相手側の極端な連中を攻撃してしまうことですね。まず攻撃すべきなのは、自分側の極端な連中なのです。それで相手と共通の土台に立てるわけです。
こちらの極端がわからないという場合、自分が極端になっている可能性があるので、それはそれで注意が必要になります。
・二つ目・身内でも批判する
それでは二つ目、自分側の極端を批判することについてです。
同じ側の人であっても、極端な連中、つまり問題のある行為をする連中は批判するということです。
捕鯨に反対しているけど、暴力的な連中は批判する。
保守派だけど、差別主義者は批判する。
自分と同じ目的を掲げていても、極端な行為を支持する気はないと明言します。
相手も当然そういう連中を嫌ってますので、そこでおなじ立場に立てるわけですね。
中国人が嫌いな右翼の人たちでも、中国人が「うちの政府、人権無視するからよくないですよ」と言えば、こいつは味方だと思って、話を聞く姿勢をつくるわけです。
相手側の問題点を探すのは、簡単です。
おまえの側には、こんな連中がいるではないか。
相手も、おまえの側も同じだろうと返します。
お互いに相手側の極端な例を持ってきて、どちらがひどいかを競い始めるわけです。なんの建設的な意見も生み出さないわけです。
しかし、自分側の極端を批判すれば、少なくとも、その問題については相手と同じ場所に立てます。
あのやり方は認められないという点で、一致できるのですね。「こいつとは話ができそうだ」と相手に思わせることができるわけです。
相手へ全面的に同意したわけでも、自分の主張を捨てたわけでもありません。
同じ陣営だからという理由で、何でもかばう人間ではないと示したのです。主義主張は一致しなくても、少なくとも話が出来る相手だと思ってもらえるわけです。
Q太郎は、身内だからといって、極端な行為までかばうことは、対話の入口を、自分で閉じることになると思っています。
本当は穏健な主張をしていても、極端な行為をする人を擁護していると相手に思われたら、すべてにおいて警戒されます。キリスト教徒も十字軍を擁護しているわけではありませんし、イスラム教徒も自爆テロを擁護しているわけではないのです。ただその立場を鮮明にしておかないと、思想的に真逆の相手には、そもそもの会話が成り立たないわけです。
自分側の問題を認めると、相手に負けたような気分になるかもしれません。
しかし、相手へ安心して話してもらうという目的からすれば、それは会話を前へ進める行為です。というか、そもそも極端な思想を持つ身内とは、あきらかに距離をとったほうがいいとは思います。
そういうのまでかばってしまうと、おまえも同類だろみたいになってしまうわけです。
日本で左翼があまり人気がないのも、極端な連中をかばいすぎているんじゃないかという気がします。斎藤幸平さんはそこをうまくやっていますね。
・三つ目・どうしてそう分かったのか
それでは三つ目、以前も言いましたが、結論ではなく、それにたどり着いた経緯を聞くことです。
話せる土台ができたら、今度は相手が、どのようにその考えへ至ったのかを聞きます。
クジラを食べるのはよくないと分かった、きっかけは何だったのですか。
ここでのポイントは、どうしてそう分かったのか、という聞き方です。
いきなり、その結論は間違いだと言っていません。
相手には、それを正しいと考える経緯があるとして、そこを聞いています。
ある映像を見たのかもしれません。誰かの説明を聞いたのかもしれません。動物について調べる中で考えたのかもしれません。宗教的理由かもしれません。
同じ結論でも、そこへ来た道は人によって違います。
その道が分からないまま、結論だけを戦わせても、すれ違ってしまいます。Xとか文字数が少ないので結論だけを書く感じになってしまうため、論争になりやすいのもこれが理由ですね。
それと、理由を聞くときは、「本当に知りたい」といった誠実さが必要です。慇懃無礼に聞いたら、普通に嫌がられると思います。
聞いていて、納得できない部分があったら、「ちょっとそこがわからないです」と、生徒が先生から学んでいる感じで耳を傾ければいいでしょう。以前も言いましたが、ここで自分の主張は差し込まなくていいです。この会話の目的は、相手がどうやって結論に至ったかの過程を聞き出すことです。
自分側の極端な連中を批判できることも、相手の経緯を聞けることも、どちらも、陣営や自分の主張の勝ち負けを目的にせず、相手を理解しようとする行為なのですね。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、人と話すことについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
話が通じないとき、我々は、自分の説明が足りないと思いがちです。
もっと証拠を出す。もっと論理的に説明する。相手の矛盾を指摘する。
しかし、その前に、相手は、こちらの話を聞いても大丈夫だと思っているか。防御モードに入っているのではないか。そのラポールが成立していないと、あなたがどれだけ賢くて知識があっても、相手は聞く耳を持ってくれません。
目の前の自分ではなく、相手が恐れている極端な連中と会話をしているつもりなら、何を言っても聞いてくれないとは思います。
そこでまず、自分側の支持できない行為や連中を批判することで、相手とおなじ立場に立つことができます。そこが共通意見になるのですね。
これは、私は穏健な人間ですと自己紹介するより、具体的に自分の判断を見せることになります。
自分の側だから正しいわけではない。その点では、あなたに同意できる。
そうなると、「おっ、こいつ、話せるやつじゃん」となるわけです。
自分側を批判できないまま、相手にだけ柔軟さを求めても、なかなか通じないでしょう。最悪なのは、相手側の極端を攻撃してしまうことです。これで会話が閉ざされます。
攻撃すべきは、まず自分側です。
会話を始めるために必要なのは、相手をやっつける言葉より、「自分は極端な連中とは違いますよ。身内をかばい続ける人間ではないですよ」と示すことなのかもしれません。
皆さんは、意見が違う人でも、この人とは話せると感じたことがありますか。
そのとき何が安心につながったのか、よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
