前回は出費の苦痛と消費の苦痛の話でしたが、今回はこの苦痛を巧妙にやわらげることで、人々の消費を増やしてきたクレジットカードについてです。
クレカは考えれば考えるほど、本当に巧妙にできています。人類の英知が詰まった発明かもしれません。
例えば、今月のクレジットカードの請求を見たら、8万円だったとします。
こんなに何を買ったのだろうと思って、明細を開きます。
外食が2,000円。買い物が1,500円。ゲームが3,000円。
ほかにも、細かい金額がずらっと並んでいます。
一件ずつ見れば、ものすごく高い買い物をしたわけではありません。
それなのに、合計すると8万円になっています。
そして口座にじゅうぶんなお金があれば、自動引き落としなので、出費の苦痛もあまり感じません。まあ払えるかと思い、明細を閉じます。
このとき我々は、何を確認したのでしょうか。
合計金額の8万円払えることは確認しました。
しかし、一つひとつの買い物へ、そのお金を払ってよかったかまでは、あまり考えていないかもしれません。
「合計金額」というのが、クレジットカードの巧妙なところだと、Q太郎は思っています。
我々は「カード代8万円」という商品を買ったわけではありません。数百円や数千円が積み重なって、8万円になっているわけです。
それぞれ別の買い物をしたのに、払うときには、一つの大きな出費になっているのですね。
前回の比較の話もそうですが、人間の脳は楽をしようとするので、近くのものと比較します。すると個別に払った数百円や数千円は、8万円という合計金額に比べれば、大した出費には感じられないわけです。
300万円の車を買ったら、オプションの5万円のカーステレオなんて安い物だと感じてしまうのと同じです。店で5万円のカーステレオを見たら高いと感じるのに、300万円という車の値段がそれを安く見せてしまっているのですね。
クレカもこれと同じで、合計金額の8万円という値段を見たら、個別の数百円とか数千円の出費は、あまり気にしなくなってしまうわけです。ここが巧妙なのですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「クレカで薄れる出費の感覚」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、買うときと払うときが離れていること。
二つ目、明細があっても買い物を評価しにくいこと。
三つ目、痛みが少ないから楽しみやすい面もあることです。
最後に、クレカとどう付き合うか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・財布が痛む場面が少ない
それでは一つ目、買うときと払うときが離れていることです。
今回も、ダン・アリエリーさんとジェフ・クライスラーさんの著書「無料より安いものもある お金の行動経済学」をもとに考えます。
前回は、出費と消費の時間差によって、楽しみやすさや支出の感覚が変わる話をしました。出費と消費の時間が離れれば離れるほど、消費をしている間の罪悪感は薄れるという話ですね。
外食で、ひと口食べるたびにお金を払っていたら食事に集中できませんし、途中で食べるのをやめるかもしれません。でも前払いか後払いにすれば、食事中は出費の痛みが少ないので、食事に集中することができます。一番いいのは、数日前に先に払ってしまって、それから食事をすることですね。「この料理は2,000円」とか罪悪感をかかえずに、食事に集中することができます。そもそもいくらだったのか覚えていないのが、一番楽しめる状態と言えます。お金を気にせず、料理だけに集中できるのですね。
クレジットカードは、この時間差を、日常の買い物へ持ち込みます。
現金で2,000円を払えば、手元から2,000円がなくなります。
カードなら、商品を受け取った瞬間には、財布の現金も口座残高も、その買い物の分だけ減るわけではありません。
支払う義務は生まれていますが、お金が離れる場面は後日です。
人は得することより、損することを嫌う生き物です。損することに関しては、得することの2倍は苦痛を感じるといいます。200円もらうより、100円失うほうが嫌なわけです。
しかしクレカなら、支払いの場では、なにも失ってはいないのですね。身の回りで減っているものはなにもない。
そのため、買う瞬間には、払うことへの抵抗が弱くなりやすいわけです。これが巧妙なところです。
では、口座から引き落とされるときに、同じだけの痛みを感じるのでしょうか。
ここにも、もう一つの巧妙な仕組みがあります。
自動で引き落とされるので、自分で一件ずつお金を取り出し、相手へ渡す動作がありません。
買うときはお金が出ず、出るときは自分で渡さなくていい。口座にお金がじゅうぶんあるかぎりは、自分が関与する出費の苦痛がないのですね。
もちろん、請求を見て痛いと感じる人もいますし、残高が足りなければ、お金を足さないといけないので、嫌でも支払いを意識します。
ただ、買ったその場で現金を渡したり、後払いのときに現金を渡したりすることに比べると、一つの買い物に対して、お金を払う感覚が結びつきにくいのです。
買った時と、それを後払いで支払う時、そのどちらも出費の苦痛を感じにくくなっているのですね。ここが巧妙なわけです。だからお金をポンポン使いやすくなるわけです。
・二つ目・8万円の中の2,000円
それでは二つ目、明細があっても個別の買い物を評価しにくいことです。
カードには明細があります。
何をいつ買ったか、金額も記録されています。
だから、現金より管理しやすいという面はあります。
ただ、記録が残っていることと、本人が一件ずつ評価できていることは、同じではありません。
冒頭の8万円の請求に戻りましょう。
先ほども言いましたが、その中に、外食2,000円という項目があったとします。
食事の前なら、この料理に2,000円を払いたいかどうかを考えるでしょう。一食2,000円は結構高いですね。一般的な定食だと1,000円前後ですしね。
ところが、請求総額8万円を見たあとでは、その中にある2,000円という金額は小さく感じられるわけです。
これは300万円の車を買ったら、5万円のカーステレオのオプションは大して高くないと思ってしまうのと同じですね。人は近くにあるものを比較対象にしてしまいます。
しかし、その8万円を作ったのは、一つひとつの、大したことがない出費です。
一件ずつは小さいからと見過ごしたら、合計だけが、毎月なんとなく大きいという状態になります。
しかも、請求を確認するころには、外食をした日から時間がたっています。
その食事は、値段に見合うほど楽しかったのか。それとも、疲れていたので何となく入った店だったのか。
当日の気持ちや満足感は、もう曖昧かもしれません。というか、そもそも覚えていないのがほとんどです。
明細の文字と数字だけでは、自分にとって価値のある出費だったのかどうかがわかりません。
「あれ? この明細書に書かれたお店ってどこだっけ?」みたいなレベルだとは思います。
そういう数百円とか数千円の、あまり記憶にない出費が積み重なって、結果として、今月のカード代は8万円だった、という一つのまとまった出来事になってしまうわけです。
合計額を払えるかは確認しても、一覧に書かれている個別の買い物が無駄だったかどうかの評価はしない。しないというか、覚えていないのでできないことが多い。
よく「クレカは明細書を見れば出費がわかるから、無駄遣いが減る」という人がいますが、Q太郎的には逆だと思っています。合計金額と比較してしまうので、むしろ数百円や数千円の個別の出費が気にならなくなってしまいます。
ずらっと並んだ情報を、自分が一件ずつ受け止められていないのですね。そもそも記憶に残っていない出費も多いので、評価しようがない。
Q太郎もクレカの明細を見て、「これなんだっけ?」みたいなのは、しょっちゅうあります。
その結果、以前の買い物への支払いの感覚が薄いまま、次の買い物へ進めてしまいます。それでまた
・三つ目・気楽に楽しめるのも同じ仕組み
それでは三つ目、痛みが少ないから楽しみやすい面もあることです。
ここまで聞くと、クレジットカードは使わないほうがよいという話に聞こえるかもしれません。
ただ、出費の痛みが弱まることには、悪い事だけではありません。楽しむ側から見た利点もあります。
先ほども言ったように、現金で食事代を払った直後には、これだけ払ったのだから、十分に楽しめただろうかと、金額が気になる場合があります。
例えば5,000円のゲームを買って、遊んでいるときに「これは5,000円の価値があるだろうか」と、ずっと採点して、楽しめないことがあります。
Q太郎がRPGを自腹で買わないのも、これがあるからですね。だいたい最後までやらないので、お金の無駄だったと感じてしまうわけです。人からもらった場合はこういうのがないので、素直に遊ぶことができますし、途中でやめても罪悪感がないわけです。
そんな感じで、カードで支払いが後日になると、遊んでいる最中には、そうした出費に対する罪悪感が弱くなるわけですね。
食事のときは、食事を楽しむ。
旅行先では、支払いのたびに財布が軽くなる感覚を持たず、目の前の体験へ気持ちを向けられる。
これは、前回お話しした消費の痛みが薄れる面です。
お金を使い過ぎる危険はありますが、それと引き換えに罪悪感を感じにくいので、楽しみやすさにもつながります。
クレカは悪い事だけではないのですね。「楽しむ」という面からだと、よいアイテムとは思います。
一方で、払った感覚がないことを、お金がまだ十分あるという感覚へ置き換えると、出費は膨らみやすくなります。
そして明細書は合計金額のせいで、個別のこまごまとした出費が意識されなくなります。合計金額8万年の前では
そこを知っておくことが、使い方を選ぶ出発点になるのだと思います。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、クレカとどう付き合うか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
Q太郎は、カードを持つか持たないかだけで、お金の使い方の良し悪しは決まらないと思っています。クレカは便利ですし、うまく使うことで生活の助けにもなります。
ただ、便利に使っているつもりの自分が、何を感じなくなっているのかは、ときどき見たほうがいいでしょう。
買うときには支払いが離れ、払うときには買った日の記憶が薄れ、明細ではほかの支出と一緒になる。そして合計金額と比較して、個別の出費は気にならなくなる。
そうすると、カード代は払っているのに、一つひとつの買い物には、お金を払った感覚が残りにくくなります。
だから請求を見るときは、今月は8万円使った、ではなく、この食事に2,000円払ったのだったと、個別の買い物へ戻します。
同じ食事へ、もう一度2,000円を払いたいでしょうか。
そう思えるなら、その出費を責める必要はありません。
楽しかったというリターンを受け取れたのでしょう。
逆に、ほとんど覚えていない、次は選ばないと思うなら、それも自分の使い方を知る材料になります。
すべての明細へ、反省文を書く必要はありません。
ただ、カード代という塊から、ときどき自分の個別の買い物を取り戻すことです。
合計額を確認しただけでは、自分が何にお金を使ったかを確認したことにはなりません。
支払いの感覚を薄める仕組みを理解して、楽しみたい場面では利用し、支出を見直す場面では、自分から一件へ戻ってみる。
Q太郎は、そのくらいの付き合い方がよいのではないかと思っています。
ちなみにQ太郎は最近、ペイペイも使い始めましたが、クレカ引き落としではなく、いちいち現金を入れる方法にしています。そのほうが無駄遣いが減りますしね。
皆さんは、カードの請求を見たとき、合計額と、一件ずつの買い物の、どちらが気になりますか。
よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
