【資本主義のバグ】なぜ田舎のアパートに「高級外車」が停まっているのか?

inaka gaisya

Q太郎のお金の哲学です。

今回は、消費の地域性についてです。

YouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

 

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なぜ田舎のアパートに「高級外車」が停まっているのか?

以前、田舎に行くほど、高級車や高級ブランドを持っている人が増える気がする、という話をしました。

これ、Q太郎の実感としてもけっこうあります。田舎の実家の近くにアパートがあるんですが、そこの駐車場に、明らかにそのアパートと似つかわしくない外国車が停まっているわけです。

もちろん、その人が何にお金を使おうが自由です。高級車が好きなら買えばいいですし、ブランド品が好きなら持てばいいです。Q太郎が他人の財布に手を突っ込む権利はありません。

ただ、ちょっと面白いのは、都会のど真ん中よりも、いわゆるマイルドヤンキー文化がある地方の方が、ブランド品や高級車で自分の存在感を示す空気が強くなることがあるんですね。

ガチすぎる田舎だと、また少し違います。周囲が山と田んぼで、みんな軽トラに乗っているような場所だと、ブランド品で見栄を張るというより、そもそも見せる相手があまりいません。イノシシにブランドバッグを見せても、たぶんリスペクトは返ってきませんしね(笑)

でも、地方都市や郊外のような、適度に人間関係が濃くて、適度に見られていて、適度に序列がある場所では、見栄の消費がかなり起こりやすいのではないかと思うんですね。

先にQ太郎の結論から言うと、ブランド品や高級車を買うかどうかは、その人の性格だけで決まるわけではありません。

どこに住んでいるか。誰に見られているか。どの集団の中でリスペクトを得たいのか。

この地域性と人間関係が、かなり大きく関係していると思います。これがかなりやっかいで、本人の努力ではどうにもならないところがあるんですね。そもそも本人が消費させられていることに気づいていない。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。今回は、田舎ほど高級ブランドを買う理由。見栄の消費は「地域」で決まるという話について、独自の視点で深掘りしていきます。

見栄の消費は地域で強くなる

アメリカのヒップホップ文化を見ると、かなりわかりやすいです。

ヒップホップのミュージックビデオを見ると、首から下げたギラギラのネックレス、やたら派手な車、シャンパン、ブランド服、豪華なソファ、札束みたいなものが出てきたりします。

いわゆる「ブリンブリン」というやつですね。ギンギラギンな生活スタイルです。

昔、「ギンギラギンにさりげなく」みたいな歌がありましたが、ブリンブリン文化は全然さりげなくありません。むしろ「見ろ。俺を見ろ。リスペクトしろ」という感じです。リスペクト文化なわけです。

それでここが面白いところなんですが、こういう派手な消費は、単にお金持ちがやっているだけではないんですね。

むしろ本来は贅沢品を買う余裕があまりない人ほど、なけなしのお金をはたいて人気ブランド品を買うことがあります。

普通に考えれば、お金がないなら節約するはずです。でも現実には、お金が少ない人ほど、逆に見栄のための消費をしてしまうことがある。

これ、かなり資本主義のバグなんですね。

ブルース・フッドの著書『人はなぜ物を欲しがるのか』でも、アメリカにおける消費傾向の研究が紹介されています。

2007年に経済学者グループが発表したアメリカにおける消費傾向では、黒人やヒスパニックの人たちは、同じ所得層の白人に比べて、宝石や衣服、車などの高級品に使うお金が25%も多いという話が出てきます。

ただし、ここはかなり注意が必要です。

これを「黒人やヒスパニックは見栄っ張りだ」みたいに雑に言ってしまうと、それはただの差別や偏見になってしまいます。

今回の話は、人種そのものの話ではありません。

むしろ重要なのは、「地域性と人間関係」です。ここを人種の問題にすると、間違った結論を導き出すことになるので注意が必要です。

研究をさらに見ていくと、こうした高級品への支出は、人種の性質というより、その人たちがどんな地域に住んでいるか、どんな集団の中で生活しているか、ということと強く関係していることがわかってきます。

つまり、貧困地域に住んでいて、同じような立場の人たちが近くにたくさんいると、その集団内でのステータス競争が激しくなるんですね。

「あいつより下に見られたくない」
「なめられたくない」
「自分はここでリスペクトされる存在だと示したい」

こういう感覚です。

日本語でかなり雑に言えば、マイルドヤンキー文化です。

なめられないための消費

ここちょっと考えてみてほしいんですけど、見栄の消費って、ただの無駄遣いではないんですね。

以前の動画でもお話ししましたが、本人にとっては、防衛手段になっていることがあります。

たとえば、濃い人間関係の中で生きていると、自分がどう見られるかがかなり重要になります。田舎というのは、都会のように、誰も他人のことを気にしていない場所とは違います。

田舎や地方コミュニティでは、車、服、持ち物、家、スマホ、時計、そういうもので、なんとなくその人の位置が測られてしまうことがあります。人間関係の濃い田舎に住んでいる人は、この感覚がわかるんじゃないかとは思います。

もちろん、全部の田舎がそうだと言っているわけではありません。地域差もありますし、人によっても違います。

ただ、狭い人間関係の中で、周囲からどう見られるかが大きな意味を持つ場所では、高級車やブランド品が一種の武器になります。

これを持っていれば、とりあえずなめられない。
これを持っていれば、とりあえず一目置かれる。
これを持っていれば、とりあえず貧乏くさく見られない。

以前もお話ししましたが、ブランド品や高級車は、社会的ステータスを手っ取り早く表示するチートアイテムなんですね。

本来、社会的な評価を得るには、時間がかかります。大企業を作ったり、オリンピックで優勝したり、ノーベル賞を取ったりとか、まあ、それなりにいろいろ大変なわけです。すぐにできることではありませんし、努力しても成功するともかぎりません。

でも、そんな面倒なことをしなくても、お金を払えばブランド品は手に入ります。チンパンジーでも、社会的にステータスのあるチンパンジーにならなくても、お金を払えばブランド品は買えるわけです。「社会的ステータスのあるチンパンジーってなんやねん」という話ですが、それくらいブランド品は即効性があります。

「自分は価値のある人間です」
「自分は成功しています」
「自分はなめられる側の人間ではありません」

こういうメッセージを、努力せずとも、お金さえ払えば持ち物で一発表示できるわけです。これは本当にチートな課金アイテムだと思います。

それで、周囲が同じような価値観を共有している地域だと、このチートアイテムの効果がかなり強くなります。

逆に、都会で高級ブランドを身につけていても、意外と誰も見ていません。東京の駅でブランドバッグを持っていても、「あ、そうですか」で終わりです。人が多すぎますし、みんな忙しいですし、いちいち他人の持ち物をチェックしていません。この動画をご覧になっているあなたも、今日、駅で誰が何を着ていたかなんて覚えていないでしょう。Q太郎も覚えていません。

でも、狭い地域社会では違います。

誰がどんな車に乗っているか。誰がどんな服を着ているか。誰がどこで外食しているか。そういう情報が、妙に共有されていたりします。田舎にいる若者が、プライバシーを求めて都会に出る理由もわからなくもないわけです。

だから、見栄の消費は、性格の問題だけではなく、環境の問題でもあるんですね。

裕福な地域では競争相手が変わる

ここでさらに面白いのは、同じエスニック・グループでも、裕福な地域に住んでいる場合は、見栄の消費が弱くなる傾向があるという話です。

なぜかと言いますと、裕福な地域に住んでいると、隣人が自分と同じ集団の人ではなくなるからです。

たとえば、黒人やヒスパニックの人が、白人の多い裕福な地域に住んでいる場合、周囲の白人富裕層と真正面からステータス競争をしようとはしにくい。相手は「自分たちの内輪」ではないからです。

かなり雑に言えば、別リーグなんですね。さらに言えば「他人」なのでどうでもいいわけです。見栄を張る必要がない。こっちも相手を見てないし、相手もこっちを見ていない。

自分の地元の仲間内でなら、「あいつよりいい車に乗りたい」「あいつよりいい靴を履きたい」という競争が起こります。

でも、周囲がまったく違う世界の人たちだと、同じルールで競争しにくいわけです。

これは日本でもあります。

地方の狭いコミュニティでは、近い相手と比べます。同級生、同僚、親戚、近所の人。そういう近い相手です。

一方で、東京の大金持ちや世界的な富豪と自分を比べる人はあまりいません。イーロン・マスクより資産が少ないから悔しい、という人はあまりいないでしょう。比較は、あくまで自分と近い相手にしか発生しないのです。

だから、見栄の消費は、誰と同じ場所にいるかで変わるわけです。

近い相手と競争する場所にいると、持ち物で差をつけたくなる。近い相手からなめられたくない。近い相手にリスペクトされたい。

これが、見栄の消費を加速させていくわけです。そして本人がそのことに気づいていないのですね。

エアマックス狩りとチートアイテム

おっさん世代なら覚えているかもしれませんが、1990年代にナイキのエアマックスが大流行したことがあります。

特にエアマックス95ですね。

当時は、スニーカーなのに数十万円で取引されることもありました。冷静に考えれば、たかがスポーツシューズです。足に履くものです。履いて歩いたら汚れます。

でも、その靴が、とんでもないステータスアイテムになったわけです。

さらに当時は、エアマックスを履いている人から路上で無理やり奪う「エアマックス狩り」みたいな事件もありました。

チーマーとかの収入源になっていたという話もあります。チーマーって今もいるんですかね、よくわかりませんが。ちなみにQ太郎の実家の田舎には、いまだに暴走族がいます(笑)夜中にバイクの爆音がしたりしますね。

ナイキシューズの強奪事件は日本だけではなく、アメリカでも起こっていました。というか、向こうの方が本場ですね。

ここで考えたいのは、なぜそこまでして高級スニーカーが欲しいのか、ということです。

普通のスニーカーでも歩くことはできるし、むしろ安い靴の方が気楽に履けます。数十万円もするスニーカーを履いて外を歩くのは結構リスキーだし、汚したら勿体ないし、履いていたら強盗に遭うかもしれない。Q太郎だったら怖くてできない。

でも、それでも欲しい、履きたいという人がいる。

なぜかというと、その靴が単なる靴ではないからです。

それは、リスペクトを買うためのチートアイテムなんですね。

ストリート文化では、どんな靴を履いているかが、その人の立ち位置を示すことがあります。高級ナイキシューズを履いているだけで、一目置かれる。周囲から「こいつは持っている」とリスペクトされる。

社会的に何か大きなことを達成しなくても、靴を履くだけで、ステータス表示ができるわけです。

これはかなり強力です。

特に、貧困地域や狭い人間関係の中では、こういう見えるアイテムの効果が大きくなります。

逆に、裕福な地域だと、ブランド品を持っていても「普通」で終わることがあります。周囲もみんな持っているからです。「いまさらそんなもの珍しくない」みたいな感じですね。

むしろ、富裕層になると、あえてユニクロや地味な服を着ることで、「自分はブランドロゴで見せびらかす必要がありません」というカウンターシグナルを出すことがあります。

これ、かなり皮肉なんですね。

貧しい人ほど、見せるために高い物を買う。富裕層ほど、安い物でも済んでしまう。そして格差がさらに開いてしまう。まさに資本主義のバグです。

貧しい人ほど高級品で幸福になる

さらに厄介なのは、貧しい人ほど、高級品を持つことで大きな幸福感を得やすいという話です。

研究では、貧困層ほど高級品や見栄の消費によって幸福度が上がる傾向があるとされています。たとえば、インドの3万4千世帯を対象にした調査では、見栄の消費によって幸福度が上がる傾向があり、とくに最貧困層でそれが目立つという結果が出ています。

また、南アフリカの七万七千世帯を対象にした調査でも、同じ所得層で比べたときに、有色人種の世帯は白人世帯よりも贅沢品に使うお金が30から50%多いという結果が出ています。しかも、最貧困層ではその傾向がかなり強いとされています。

ここでも繰り返しますが、これは人種の優劣の話ではありません。

地域、所得、集団内の競争、社会的な見られ方、そういう環境の話です。

貧困地域では、生きていくために必要な食料・教育・健康よりも、周囲に対して「自分は価値がある」と示すための消費が優先されてしまうことがあります。

冷静に考えると、かなり悲惨です。

本当は貯金した方がいい。本当は生活費に回した方がいい。本当は教育に使った方がいい。本当は健康に使った方がいい。

でも、今すぐ自分を認めてもらう必要がある。なめられないようにする必要がある。集団の中で下に見られないようにする必要がある。

そのために高級品を買ってしまう。短期的な視点になってしまうのですね。

すると、お金が残らない。生活が苦しくなる。教育にもお金がまわらない。さらに不安になる。不安になるから、またステータスを示すものが欲しくなる。

これが経済的な負のループです。

貧しい人が高級品を買い、富裕層は地味な服で済ませる。結果として、富裕層はさらにお金を残し、貧困層はさらにお金を失っていく。

これ、かなり嫌な話ですが、現実に起こっていると思います。

iPhoneと見栄の消費

昔、中国で、若者がiPhoneを買うために臓器を売ったというニュースがありました。

かなり極端な話ですが、これも単にスマホが欲しかったというだけではないと思います。

電話をかけるだけなら、安いスマホでも十分です。ネットを見るだけなら、安いスマホでもできます。写真を撮るのも、最近は安いスマホでもかなりできます。Q太郎も、楽天モバイルに加入した時に、無料でもらったスマホをいまだに使い続けています。日常で使うぐらいなら、それで十分なわけです。写真も撮れますし、ネットもできますし、困ることはありません。

でも、それでもiPhoneが欲しいのは、機能の問題よりも、iPhoneを持っていること自体が社会的なステータスになるからです。

つまり、欲しいのはスマホの機能だけではなく、「iPhoneを持っている自分」なんですね。チートアイテムで社会的ステータスを得て、まわりからリスペクトしてもらいたい自分です。

これは高級ブランド品と同じです。

バッグが欲しいのではなく、ブランドバッグを持っている自分が欲しい。
車が欲しいのではなく、高級車に乗っている自分が欲しい。
靴が欲しいのではなく、レアスニーカーを履いている自分が欲しい。

この「社会的ステータスのある自分」「社会からリスペクトされる自分」が欲しいわけです。

中国の富裕層文化でも、見栄の消費はかなり強いと言われます。スマホはiPhoneでないとだめ。車はテスラでないとだめ。国産電気自動車のBYDに乗っていると、少し下に見られる。

もちろん、これも地域や人間関係によります。中国全体がそうだと言うつもりはありません。

ただ、そういう文化圏にいると、裕福層であっても、なかなかユニクロでカウンターシグナルというわけにはいかなくなります。

つまり、見栄の消費は、貧困層だけの問題でもありません。

地域や人間関係によっては、富裕層でも見栄の競争に巻き込まれます。

ただし、ダメージが大きいのは、やはり所得が低い層です。そもそもの可処分所得が少ないですしね。

富裕層が少し高い物を買っても、生活は壊れません。でも、所得が低い人が同じことをすると、生活の土台が削られます。生活費も教育費も、ろくに残らなくなってしまうかもしれません。

しかも厄介なのは、高級品にはお金を使うのに、日々の食事や健康にはお金を使えなくなることです。見栄のための消費にはお金を出す。でも、健康によい食材は高いから買わない。安くて高カロリーの既製品ばかりになって、体調を崩したり、病気のリスクが高まったりする。そうなると、今度は医療費の問題まで出てきます。

つまり、見栄の消費は単にお金が減るだけではありません。生活の質そのものを削ってしまう可能性があるんですね。

そして本人がそれに気づいていないことが、見栄の消費の怖さだと思います。一時的な幸福感を取る代わりに、長期的な視野が失われてしまう。ブランド品を買った瞬間は気分が上がる。でも、その裏で生活費や教育費、健康への投資が削られている。

しかも本人の感覚としては、「無駄遣いしている」というより、「自分の価値を守っている」「なめられないために必要なものを買っている」という感覚に近いのかもしれません。だからこそ、見栄の消費はかなり厄介なんですね。

自分の環境を疑う

今回の話で大事なのは、見栄の消費を「個人の意思が弱いから」で終わらせないことです。

もちろん、本人の判断もあります。買うか買わないかは、最終的には本人の選択です。

でも、人間はそこまで自由ではありません。

周囲が高級車に乗っている。友人がブランド品を持っている。同僚が新しいiPhoneを持っている。親戚が家や車でマウントを取ってくる。地元のコミュニティで「何を持っているか」が妙に重視される。

そういう環境にいると、気づかないうちに消費が増えていきます。

自分では自由に選んでいるつもりでも、実際には地域や人間関係に選ばされていることがあるわけです。

ここ、かなり怖いところです。

「自分はこのバッグが本当に欲しいのか」
「それとも、このバッグを持っている自分を見せたいのか」
「自分はこの車に乗りたいのか」
「それとも、この車に乗っている自分を見られたいのか」
「自分はiPhoneが必要なのか」
「それとも、安いスマホを持っていると思われたくないだけなのか」

ここは一度、考えた方がいいと思います。

もし最近、支出が増えていると感じるなら、家計簿だけを見るのではなく、人間関係や地域性も見た方がいいです。

誰に見せるために買っているのか。
誰に負けたくなくて買っているのか。
誰になめられたくなくて買っているのか。

そこを見ると、見栄の消費の正体が見えてきます。

まとめ

そんなわけで、今回の話をまとめると、田舎ほど高級ブランドや高級車を買う人が増えるように見えるのは、単に田舎の人が見栄っ張りだから、という単純な話ではありません。

地域性と人間関係の問題です。

狭いコミュニティの中で、誰に見られているか。誰と比べられているか。誰からリスペクトされたいか。誰になめられたくないか。

これによって、見栄の消費はかなり強くなります。

ブランド品や高級車は、社会的ステータスを手っ取り早く表示するチートアイテムです。お金を払えば、すぐに「それっぽい自分」を作れます。

でも、それはかなり高い買い物です。

本来なら、貯金や教育や健康や生活の安定に使えたお金が、他人に見せるためのアイテムに流れていく。しかも、そういう消費が必要になりやすい地域ほど、もともとお金に余裕がないこともある。

だから、貧しい人が高級品を買い、富裕層がユニクロで済ませるという、なんとも嫌な逆転現象が起こるわけです。

Q太郎的には、これは資本主義のバグだと思います。

もちろん、ブランド品を買うなという話ではありません。好きで買っているなら、それはそれでいいです。高級車が趣味なら、それも自由です。

ただ、それが本当に自分の欲望なのか。それとも、地域や人間関係によって作られた欲望なのか。

ここは見ておいた方がいいと思います。

消費が増えたと感じたら、財布の中身だけではなく、周囲の人間関係を疑ってみる。

もしかすると、自分が欲しいと思っていたものは、自分ではなく、周囲の視線が欲しがっていたものかもしれません。

皆さんの周りにも、「この地域って、やたら高級車が多いな」とか、「この人間関係だと見栄の消費が増えるな」と感じることはありますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

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