【FIRE/退職後】幸せのために期待値を下げる?

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kitaichi

新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。

今回は、幸せのために期待値を下げることは必要なのかどうかについての話です。

本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。

期待するほど不幸になる

このようなご質問をいただきました。

いつも参考になる動画をありがとうございます。

現在早期退職後の生活に入って2年目になります。昔音楽をやっていたこともあり、現在はパソコンを使って作曲を楽しんでいます。

できあがった曲をネットで公開していますが、思うようにアクセス数が伸びません。時間をかけて作ったのに、アクセス数が1桁だったりして心が折れます。好きでやっていることなのですが、やはり評価されないとつらいものがあります。

以前の動画で、幸せの大きさは「現実-期待値」の差の大きさなので、期待値を下げることが重要との話をしていました。

これは本当にその通りだと思い、曲をアップロードしたあとは期待しないようにしているのですが、それでもやはり期待してしまう自分がいます。

期待値を下げればいいという理屈はわかるのですが、具体的にどのように下げればよろしいのでしょうか。Q太郎さんの実践していることを教えていただければ助かります。どうぞよろしくお願いいたします」

とのことです。

期待値と幸福

幸せの大きさは「現実-期待値」の差の大きさ」という部分ですが、いちおう簡単に説明しておきます。

音楽が趣味の方のようなので、たとえば「好きなことを仕事にする」を実践して、音楽業界で働くことになったとします。

音楽が大好きなので、やりたいことを仕事にできたことで最初はうれしいとは思いますが、実際仕事は人間関係や市場の動向、会社の方針などもありますし、自分のやりたい放題にできるものでもありません。

面倒な雑事をやらされたりすることもあるでしょう。

そうなると「あれ、思ったより楽しくない」となってしまい、なんだか不幸な気分になってしまいます。

このときの音楽業界への期待値を100として、現実が50だとすれば、現実ー期待値は50-100で-50になるわけで、大きな不幸を感じるわけです。

逆に、音楽とかまったく興味がないけど、友人の誘いやらなんやかんやあって音楽業界で働いてみたらけっこう悪くなかったというケースです。

このときの期待値を10ぐらいだとすると、現実は先ほどとおなじ50だとすれば、現実-期待は50-10なので+40になり幸福を感じます。

ここで重要なのは、現実はおなじなのですね。おなじ50です。

そのおなじ50で、期待値の高さによって人は幸福になったり不幸になったりします。

これはレストランとかもそうで、期待しないで入ってみたらおいしかったと思ったり、食べログとかがっつり見てから期待して行ったらたいしたいことなかったと思ったりなど、レストラン自体はおなじなのに期待値によって人の反応が変わってしまうのですね。

ゲームとかも「うんにゃらファンタジー」とか人気作ほど発売後にたたかれまくったりします。企業がCMバンバン打って盛り上げすぎているのも問題なのですが、ユーザーの期待値が高すぎて、現実とのギャップの引き算に苦しむわけです。

逆にとくに期待しないで、適当に中古屋で買ったゲームが面白かったら幸福度も上がるわけです。ゲーム自体はおなじなのですが、期待値が低かったので楽しめるのですね。

いまではファミコン時代のゲームで『いっき』とか『スぺランカー』とか『たけしの挑戦状』とかくそゲー扱いされていますが、当時は普通に楽しんでいました。小学生ですし、べつになにか期待して遊んでいるわけでもなかったですしね。

『たけしの挑戦状』とか、「街中のいろいろな店に入れてすごい」「カラオケで歌がうたえてすごい」とか思っていました。Q太郎の期待値を超えていたわけです。

つまるところ幸福か不幸かは、ぶっちゃけあなたの期待値次第なのです。

「まったく期待しない」は無理

そのため幸福になりたければ、そもそも期待しないことが重要です。

「他人に期待しない」とかですね。他人を助けてあげたあと、その見返りを期待してしまうと、見返りがなにもなかった場合は「現実ー期待値」で不幸を感じてしまうわけです。

人にお金を貸して戻ってこなくて不幸を感じるのも、戻ってくると期待しているからですね。「お金はあげる気で貸せ」というのも、貸した相手のためではなくて、自分のメンタルを守るために重要なこととは思います。

とは言っても、これがそう簡単ではないのは、質問者様のおっしゃるとおりです。

どの動画か忘れましたが、以前の動画でも「期待値を下げることは簡単ではない」との話をしました。

というのも、人が行動を起こすというのは、やはり期待があるからですね。期待があるから行動をするのです、

そのため、まったく期待がないことに対して行動を起こすことは、やはりないのですね。

友達にお金を貸すにしても、口で「あげるつもり」とか言っていても、やはり潜在意識的には程度の差はあれ、返してもらえることを期待しているわけです。

それで質問者様も、曲を公表している以上、やはりアクセス数や反応を期待してしまうわけです。これは人間である以上、避けられません。

というかそういう期待がまったくなかったら、そもそも曲の公表なんかしません。自分で曲をつくって、自己満足だけで終われるはずです。それをしないで公表しているのですから、やはり世間からの評価を期待しているわけです。そういう欲がなければそもそも人間は動きません。

そんなわけで、「まったく期待しない」というのも理想論なわけです。まったく期待しないことに対して、人間は行動なんてしません。

中古屋で適当なゲームを買ったとしても、「もしかして面白いかも」というちょっとした期待はあるわけです。「うんにゃらファンタジー」みたいな超人気作に比べて期待の程度が違うだけで、やはり期待はしているのです。期待値の大きさが違うだけです。

それで我々にとってできる「期待しない」というのは、正確に言えば「期待値を下げる」ということです。

「まったく期待しない」というのは人間の行動原理からして無理なので、「期待値を下げる」ことで対策する必要があります。

期待値を下げる

それで人間は口で「期待しない」といっても、無意識に期待してしまう生き物なので、これはどうしようもありません。

質問者様が「曲をアップロードしたあとは期待しないようにしているのですが、それでもやはり期待してしまう自分がいます。」とおっしゃられることは、人間としては当たり前のことなので気にする必要はないでしょう。

まったく期待しなかったら、そもそも曲のアップロードなんかしません。逆に「なんでアップロードしたの?」と聞きたいぐらいです。

大なり小なり、人は期待を持って行動しています。

ただここでの問題は、その期待値が高いことですね。たぶん「アクセス数1桁」というのは、質問者様にとっては期待値より低いということなのでしょう。逆に言えばそれだけのことです。

ちなみにQ太郎のYoutubeチャンネルは、「必要な人が見てくれればいいや」ぐらいでやってます。そのため、「台湾の交通機関一か月乗り放題のTPASSを使ってみて、本当にお得なのかどうかの話」とか、ピンポイントに一部の人にしか役に立たない動画も気にせず出しています。

Q太郎自身は、こういうネットのピンポイントな情報によって助けられたことがけっこうあるので、その恩返し的な意味でも、再生数気にせずに必要な情報を出すことにしています。たまに出しているマイナーな米国ETFの情報とかもそうですね。

そのためQ太郎の目的としては「再生数気にせずに必要な情報を提供する」というのがあります。再生数よりソーシャルキャピタルを稼ぐ的なものですね。

再生数も気にすることは気にしますが、ただ再生数を本気で気にすると最大公約数的な内容をあつかわざるを得なくなってしまうのが難点です。

そうなると、一部の人が必要なマイナーな情報がどんどん淘汰されてしまうのですね。

かなり以前、某有名ゲーム実況者の動画を見たことがあるのですが、そこであつかっていたゲームは、一般的にはあまり知られていないもので、「再生数があまりなかったらやめます」みたいなことを言っていました。そして実際にその一回だけで終わりました。

個人的には好きなゲームでしたし、その実況者様も楽しんで遊んでいたので、再生数が理由で理由でやめてしまったのはちょっと悲しかったかなというのがあります。ただ実況者様としては仕事ですし、生活もありますので、そうも言ってられないとは思います。

Q太郎も仕事でこのチャンネルをやっていたら、そうも言ってられないでしょう。再生数の取れない内容はまずぜんぶ切り落とすと思いますし、業者の案件とかもばんばんやっているとは思います。これは目的が「お金を稼ぐため」なので、そこにフォーカスするのは当たり前のことです。良いとか悪いとかの問題ではありません。目的の問題なのです。

それでいまのQ太郎はYoutubeで稼ぐ必要はありませんし、そこにはフォーカスしていないため、企業の案件とか証券会社のアフィリエイトとかぜんぶ断っています。面倒くさいというのもありますし、自分でも使っていないような証券会社紹介してもなんかあまりいい気分ではありませんしね。

つい昨日にはオンラインサロン運営会社から「どうでしょうか」みたいなメールが来ましたが、オンラインサロンを開いても提供するものがなにもないですし、何かQ太郎の方向性とは違うわけです。やりたい人はやればいいとは思うのですが、Q太郎としては面倒なので断っています。

そんなわけで、現在のQ太郎的には、そもそも面倒くさいというのもあって、そのあたりにはフォーカスしていないわけです。ゆるいつながり的なものやソーシャルキャピタル的なものの提供といった、無理なくゆるくといった感じですね。

競い合うとかはしたくないですし、そこにフォーカスすると疲れますし幸せになれないことは自分が一番よくわかっているわけです。やりたい人がやればいいだけで、Q太郎としてはそこではないのですね。

目的は?

それでまず質問者様に考えてほしいのは、曲をアップしたそもそもの目的は何なのかです。

「たくさんの人に聴いてもらいたい」という部分にフォーカスしたいのであれば、まずは期待値とかいう問題ではなく、戦略が必要になってきます。

聴いてもらうためのプラットフォームが正しいのかどうかや、音楽のジャンルが多くの人に受け入れてもらえるかどうかとかですね。

たとえばQ太郎は食事のときにYoutubeで「朝食 BGM」とかで検索したりして、適当なBGMを流しながら食事をすることもあります。この手のBGM動画はけっこう再生数もありますので、質問者様の音楽がどのジャンルかはわかりませんが、ジャズとかボサノバ、イージーリスニング的な癒し系のものだったらたとえばこの方向でやっていくのもいいとは思います。ようは「大きな需要がある」ということですね。

あと「勉強や仕事に集中できるBGM」とかもそうですね。長時間ずっと流しっぱなしにしてくれます。

それかQ太郎の動画でも利用していますが、フリー素材として音楽を提供するのもいいとは思います。これも需要は多いとは思います。

歌とかだとちょっと難しくなるかもしれません。一時期「初音ミク」とかボーカロイドが流行っていましたのでそれに乗っかる手もありましたし、実際それで成功した人たちもいましたが、いまはボーカロイドだから聴くということもなくなっているため、難しくなっていますね。

なんにしろ、「たくさんの人に聴いてもらいたい」であればそこにフォーカスし、ある程度戦略的に考えていかないといけないとは思います。これは期待値うんぬんの問題以前の話です。本当にアクセス数を増やしたければ、基本的なところはちゃんとおさえてほうがいいでしょう。期待値云々はそのあとの話です。

一方で、「作曲自体が楽しくて、そのついでにアップロードしている」というのであれば、「1人でも聴いてくれたら十分じゃないの?」という気はします。

作曲自体が楽しいのであればその時点で目的は果たせてしまっているわけですし、「それもあるけど、やっぱり多くの人に聴いてもらいたい」というのであれば、やはり戦略を考えていく必要があるでしょう。

音楽のジャンルがわからないので何とも言えませんが、BGM系ならさきほどのYoutubeでの食事用BGMとか勉強用BGMとかでもいいですし、フリー素材での提供でもいいとは思います。要はユーザーに「利益」をあたえることですね。

基本が終わったあとは

そんなわけで、これまで言ったことを実践してもアクセス数が上がらないこともあるでしょう。むしろそのケースのほうが多いとは思います。

それで、やるべきことをやったあとは、期待値をあるていど正確に算出すればいいとは思います。

たとえば出版業界では100万部のベストセラー小説みたいな華やかなものもありますが、ゴリゴリの専門書だと、3000部も売れたら超ベストセラーみたいな世界です。ジャンルによってベストセラーの期待値が違うのですね。

昔はファミコンゲームも、出せば何十万本とか何百万本とかあたりまえに売れていました。スーパーマリオを持ち出すまでもなく、クソゲーと言われている『忍者ハットリくん』ですら150万本ぐらい売れていましたしね。

しかしいまゲームでは、1万本も売れれば上出来みたいな感じになってきています。漫画も10万部も売れればベストセラーですし、昔と比べて期待値が低くなったのですね。

そんなわけで、やるべきことをやったあとであれば、「この曲だったらアクセス数はこれぐらい」みたいな統計的な期待値はあらかじめ予想できるとは思います。具体化はできるのですね。そこをちょっと低く見積もっておけばいいとは思います。

もしその期待値以上を出したければ、なにかひと工夫が必要だったり、そもそもの音楽ジャンルを変えてみたりなどが必要になってくるでしょう。

ただそこにフォーカスするのであれば、これまでの受け身的な「期待値より低くて悲しい。期待値をもっと下げたい」みたいな話ではなく、どんどんいろいろな工夫をしていって「期待値を超えてやる」みたいな感じで前向きにやっていくしかないとは思います。それはそれで楽しいとは思います。

何にしろ、自分がなにを目的にしているのかをあきらかにさせたほうがいいでしょう。自分にとって何が大切か、なにが幸せなのかを考えた方がいいですね。

 

まとめ

そんなわけでまとめると、

幸福感の大きさは「現実-期待値」の差の大きさ。おなじ現実でも、期待値を下げることで幸福感を上げることはできる。

・ただ「期待」が人を行動させるので、「まったく期待しない」(期待値0)ということは無理。大なり小なり、人の行動には期待が伴う。

・何のためにそれをやっているのか、期待値以前に目的をまずはっきりさせ、目的にフォーカスする。

・やることをやっていれば、だいたいの期待値は算出できる。そこをちょっと低く見積もってやる。

・期待値を超えたければ、受け身的な「期待値より低くて悲しい。期待値をもっと下げたい」よりも、どんどんいろいろな工夫をしていって「期待値を超えてやる」みたいな感じで前向きにやっていく。

となります。

「期待値を超えたい」向上心旺盛なタイプなのか、「期待値を低くして自分の好きなことをする」マイペースタイプなのか、どっちが良い悪いの話ではなく、けっきょくは自分がどうしたいかをはっきりさせたほうがいいでしょう。そしてそこへしっかりフォーカスしていけば、期待値自体をそんなに気にする必要はなくなるとは思います。

Q太郎的には、日本の若者たちには「期待値を超えたい」向上心旺盛なタイプであってほしいとは思います。そういう人が多ければ経済も活性化しますし、国力も上がっていくでしょう。

ただQ太郎自身は「期待値を低くして自分の好きなことをする」マイペースタイプですし、正直年齢的にいろいろと疲れた感もあるので、まあ、人に求めるものと自分に求めるものが違うというのは人間あるあるですね。年寄りほど「若者がんばれ」と言います。本当にすみません。

そんなわけで質問者様は、まず期待値よりも自分がどうしたいのかをあきらかにして、そこにフォーカスしていくといいかと思います。アクセス数を増やしたければ、プラットフォームの見直しやアプローチの仕方など、戦略的にやったほうがいいでしょう。期待値はそのあとでゆっくり考えてもいいとは思います。