
こんなコメントをいただきました。
「お金を使っていろいろな経験を増やすことで、生活レベルが上がり、むしろ幸せから遠のいてしまう可能性もあります。そのあたりをQ太郎さんどうお考えでしょうか?」
とのことです。ありがとうございます。
いわゆる経験の拡張によって、幸せのハードルが上がってしまう、ついでに生活のコストも上がってしまう状態ですね。
これについてはダニエル・ギルバートの著書「明日の幸せを科学する」でも指摘されています。
例えばハワイの海岸で、夕日を眺めています。
きれいな海があります。
ゆっくり沈んでいく夕日があります。
風も気持ちよい。
この時間の幸福度を、八点満点の八点とします。
これだけで、十分に幸せです。
ところが、そこで葉巻を吸う楽しさを覚えた人がいます。
葉巻を吸いながら夕日を見ると、さらにすばらしい。
本人は、本当の楽しみを知ったと思います。
では次に、葉巻を持たずに同じ夕日を見たら、どうなるでしょうか。
以前は八点だった景色です。
しかし葉巻のある夕日を経験したあとでは、何かが足りません。
葉巻があれば八点。
葉巻がなければ七点になります。
一方、葉巻を知らない人は、同じ夕日だけで八点を感じています。
葉巻を知っている人は、こう思うかもしれません。
「あの人は葉巻のよさを知らないから、夕日だけで満足している。本当の幸福を知らない」
しかし別の見方もできます。
葉巻を知らない人は、何も追加しなくても八点です。
葉巻を知った人は、八点を出すために、葉巻が必要になりました。葉巻がないと7点なのです。
経験によって幸福が増えたように見えて、以前なら幸福だった時間を、物足りない時間へ変えてしまったのですね。
飛行機に乗るときも、タバコを吸わない人は普通に座席に座るだけですが、タバコを吸う人はタバコが吸えないので、タバコを吸わない人に比べて気持ち的には-1点なのですね。吸わない人より幸せが減ってしまう訳です。
私たちは、物より経験へお金を使えば、人生が豊かになると考えます。いわゆる「モノ消費よりコト消費」というキラキラワードです。
旅行へ行く。
美食を味わう。
新しいサービスを使う。
しかし経験は、幸福を増やすだけではありません。
幸福を感じるための条件まで、増やすことがあります。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「経験が多いほど幸せとは限らない。生活レベルが招く幸福のインフレ」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、経験が増えると、なぜ以前の幸福が小さくなるのか。
二つ目、無料体験やサブスクが、どのように幸福の固定費になるのか。
三つ目、ハレとケを分け、普通の日の幸福を守ることです。
最後に、お金持ちになることと、幸福の最低料金を上げることは同じなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・経験が幸福の物差しを伸ばす
それでは一つ目、経験が増えると、なぜ以前の幸福が小さくなるのかです。
ギルバートは、先ほどの葉巻の話を、「経験拡張仮説」という考え方で説明しています。
ここでの八点や七点は、経験によって、自分が幸福を表現する物差し自体が変わることを説明する例です。
経験が少ない人の満点である八点と、経験が多い人の満点である八点は、同じ条件を表しているとは限りません。
食べ物で考えてみましょう。
戦乱の中で、食うや食わずの生活をしている人が、暖かい食べ物をもらったときは、その幸せを八点だと感じるでしょう。
一方、普段から高級料理店でうまいものを食べている人は、おなじ食事をもらったとしても、せいぜい二点ぐらいにしか感じません。
そうなると、うまいものを食べている人は、「あいつは本当の幸せを知らない」と思うわけです。
ここで考えたいのは、以前は普通の食事で八点を出せた人が、高級な食事を知ることで、普通の食事が七点になってしまう場合があることです。つまり同じ人間だとしても、経験を拡張したことで、八点を取る条件が上がってしまうのですね。
経験が増えると同時に、幸福でいるための最低条件も上がります。
広い家へ慣れると、以前の家が狭く感じる。
高級ホテルへ慣れると、普通のホテルの欠点が気になる。
高性能な車へ慣れると、以前は満足していた車が不便に感じる。
最近のゲームを遊ぶと、昔のゲームは苦痛でしかなくなる。
どれも、経験してはいけないという話ではありません。
新しい経験によって、自分自身が上書きされ、新しい基準ができてしまうのです。
生活が実際に便利になることもあります。
しかし、経験を一つ増やせば、幸福も一つ足し算されるとは限りません。
新しい幸福を手に入れると同時に、満点だった昔の幸福が値下がりする場合があります。
子供のころは砂場で遊んでいれば満足の8点だったのに、今はテーマパークとかに行かないと8点にならないわけです。経験の上書きが起こっているのですね。
Q太郎は、これを「幸福のインフレ」と考えています。
同じ八点の幸福を買うために、以前より多くのお金や条件が必要になります。お金があればあるほど、幸福のために、このインフレをいかにコントロールするかが重要になってくるとQ太郎は考えています。
・二つ目・サブスクは幸福の固定費になる
二つ目、無料体験やサブスクが、どのように幸福の固定費になるのかです。
企業はこの「経験の拡張」をよく知っていますので、商品には無料体験や割引があります。現代のマーケティングは本当に研究されつくしているのです。
最初の一カ月は無料。
最初の三カ月は半額。
上位機能を期間限定で開放。
いきなり毎月お金を払うのは迷いますが、無料なら試してみようと思います。
もちろん、無料体験には、商品が自分に合うか確認できる利点があります。
実際に役立つサービスを見つけられることもあります。
ただ企業側から見れば、最初に使ってもらい、そのサービスがある生活へ慣れてもらうことには大きな意味があります。「経験の拡張」をおこなってもらいたいのですね。
利用する前は、サブスクがなくても八点でした。
ところがサブスクによって、たくさんの映画を見られたりすると、経験が拡張されます。
それでサブスクがある生活が、日常の八点になります。
そこで解約すると、以前の生活へ戻るだけなのに、七点に感じます。下手すれば三点ぐらいになっているかもしれません。サブスクがよいものであればあるほど、この減点は大きくなります。以前と同じ状態なのに、幸せが減ってしまうのですね。
これは先ほども言ったように、我々は砂場での砂遊びを8点と感じることができなくなったのと同じです。経験が拡張されて、以前の状態が低い点数になってしまったのです。
サブスクは幸福を一つ増やすサービスとして始まり、やがて解約すると幸福を一つ失うサービスになります。
この段階になると、より幸福になるためではなく、七点へ下がらないために料金を払います。
サービスの利用料が、幸福の維持費になるのですね。
これまで無料で八点を維持してきたのに、これからはお金を払って八点を維持しないといけなくなるのですね。
Q太郎は、サブスクはサービスの固定費であると同時に、幸福の固定費にもなると思っています。Q太郎が便利サービスをあえて避けたり、サブスクすると死ぬ病気にかかっているのも、これが理由です。
一つ一つは、月に数百円や千円程度です。
しかし経験した便利さが増えるほど、以前の生活へ戻りにくくなります。
動画が必要。
音楽が必要。
ゲームが必要。
クラウドの容量が必要。
経験が拡張されたことで、幸福を八点に保つため、毎月必要な料金が増えていきます。
企業側としても、便利なサービスを安く体験してもらい、経験を拡張させ、以前の生活に戻ると幸福度が減るという状態にすることで、サブスクを維持してもらえるわけです。べつにそれが悪い事では無いですが、あまりに無自覚に利用していると、どんどん幸せのハードルが上がっていってしまうことも、合わせて意識しておかないといけないとは思います。
・三つ目・ハレをケにしない
三つ目、ハレとケを分け、普通の日の幸福を守ることです。
Q太郎は以前にも、いくらお金があっても、ハレとケを使い分けたほうがよいという話をしました。
ハレは、祭りや祝い事などの特別な時間。
ケは、繰り返される普段の生活です。
高級な食事を、たまに楽しむ。
旅行先で、少しよいホテルへ泊まる。
特別な日に、普段は買わない物を買う。
ハレをハレのまま残しておけば、喜びは大きくなります。
しかし、ハレを毎日にすれば、それがケになります。寿司がいくらおいしくても、毎日食っていたら飽きますしね。
これまでのハレが無くなってしまい、新しいハレを探すのが大変になります。さらなる金銭的コストがかかるかもしれません。
Q太郎のいう「ケを低く保つ」とは、日常へ刺激や高級品を詰め込みすぎず、普通の日にお金を使わなくても満足できる感覚を維持することです。
いつもの食事がおいしい。
家でゲームをして楽しい。
近所を歩くだけでも気分がよい。
今ある物で、不自由なく過ごせる。
このケで八点を出せるなら、幸福の固定費は小さくなります。
そして、ときどき美食や旅行を楽しめば、ハレの喜びも大きくなります。お金がある人ほど、このハレとケを意識しなくてはならないと思っています。じゃないと、世の中がケだらけになって、ケが枯れて「ケガレ」になってしまうわけです。退屈な世の中に絶望して、さらなる刺激を求めてアフリカへ猛獣狩りに行ったり、スカイダイビングをしたりするわけです。
べつに経験を増やさないよう、何も知らずに生きろという話をしているわけではありません。
よい経験を、すべて日常の最低条件へ変えないことです。
Q太郎はよく「一度目は経験、二度目は消費」と言っていますが、一回経験したことはそれで終わらせたほうがいいことが多いのですね。
一度高級なホテルへ泊まったら、「だいたいわかった」ということで、それ以降は普通のホテルに泊まるとか、あえてメタ的なコントロールをするわけです。
ちなみにQ太郎が泊ったホテルで一番高かったのが、リッツカールトン大阪で、一泊八万円でした。知人の会社のお金で泊らせてもらったので払ってませんけど、泊まってみて「だいたいわかった」という感じなので、自腹では泊ることはないです。というか、一泊寝るだけで八万とか払いたくないです。
そんな感じで、経験したら「だいたいわかった」で、継続する必要性はないのですね。
経験の拡張はしても、その経験を維持する必要はないわけです。これをメタ認識して、意図的にやらないといけないわけですね。
・まとめ
最後に、お金持ちになることと、幸福の最低料金を上げることは同じなのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
私たちは、経験が多いほど、人生が豊かになると考えます。宣伝もそういうことをあと押しします。
旅行へ行く。
美食を味わう。
便利なサービスを使う。
そこへお金を使えば、幸福の種類が増えます。
それは間違いではありません。
しかし経験は、幸福を足すだけではありません。
幸福を採点する物差しを伸ばし、以前は八点だった時間を、七点へ下げることがあります。
葉巻のない夕日。
高級料理ではない食事。
サブスクのない休日。
経験する前には十分だったものが、経験したあとには、経験が拡張され、以前のことが不足へ変わります。
生活レベルが上がるとは、使える物や楽しめる物が増えることです。
同時に、幸福でいるために必要な条件が増えることでもあります。ここは意識したほうがいいです。
お金が増えた分だけ、その条件を維持する固定費が増えれば、自由になったのかは分かりません。
Q太郎は、お金持ちになる目的は、毎日の幸福のハードルを上げることではないと思っています。
お金があるからといって、ハレをすべてケにする必要はありません。それこそケガレ地獄の日々です。アフリカへ行って、ライオンを撃たないと満足できなくなったりするわけです。
毎日よい物を食べ、毎回よいホテルへ泊まり、便利なサービスを全部契約する。
それが新しい普通になれば、幸福の最低料金は上がり続けます。そして、ハレを失います。ケガレの日々が待っています。
Q太郎の見立てでは、人生を豊かにするのは、幸福の種類を増やすことだけではありません。
幸せのシステムを理解し、メタ認知をして行動をコントロールし、少ない条件でも、八点を出せる力を失わないことです。だからQ太郎はあえて、洗濯機を使わずに洗濯をしたりするわけです。実際毎日、洗う物はシャツとパンツだけですし、その楽ですね。シャワー浴びるついでに洗って、干すだけ。五分もかかりません。洗濯機を動かすほうが面倒です。
そんな感じで、あえて美食を減らし、普通の食事を、おいしいと思えるようにするなど、ケの八点を守るために、ハレのコントロールをするわけです。たまにハレがあれば、それは八点をさらに超えた九点になったりしますしね。ただそれは一瞬でいいわけです。
経験は、持っているだけで幸せを生む資産ではありません。
場合によっては、幸福を維持するための費用を増やす負債にもなります。
ここをどうメタ認知できるか、自分でコントロールできるか。
どれだけ多く経験したかではなく、その経験がなくなったあとにも、普通の日を楽しめるか。
Q太郎は、そこまで含めて、経験へお金を使うことを考えたいと思っています。
皆さんは、一度便利さやぜいたくを経験したことで、以前の生活が物足りなくなったことがありますか。また、普段のケと、特別なハレを、どのように分けているでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
