
こんなコメントをいただきました。
「確かに一日にやることが詰め込まれ過ぎてますね。娯楽すらどんどん新しいのが出てくるので、それの処理に追われてしまいます。倍速視聴もやむを得ない状況とは思いますが、それが作品を楽しむ満足感や幸福感を減らしていると思います」
とのことです。ありがとうございます。
以前の動画で、現代人に時間がないのは、一つの時間へ、やることを詰め込みすぎているからではないかという話をしました。
テレビのない時代なら、夕食の時間にすることは、夕食を食べることでした。つまりやることは一つです。
テレビが登場すると、夕食を食べながらテレビを見るようになります。同じ時間で、やることは二つになります。
スマホが登場すると、夕食を食べながらテレビを見て、さらにスマホまでいじります。同じ時間で、やることは三つです。
時間の長さ自体は変わっていませんが、同じ時間に三つの体験を詰め込めるようになったのですね。
数字だけ見れば、昔より3倍、人生を有効活用しているようにも見えます。
しかし、食事もテレビもスマホも、どれも薄くしか覚えていません。そもそも何を食べたか覚えていないみたいな状況もできあがります。
一つだった夕食の時間が、小さな点へ切り刻まれてしまったからです。
人生へ多くの体験を詰め込めば、人生は豊かになる。
我々はそんなふうに考えていますが、本当にそうなのでしょうか。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「時間を点から線に戻す」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、体験を増やすほど、なぜ記憶が薄くなるのか。
二つ目、なぜ我々は空白や沈黙まで埋めてしまうのか。
三つ目、時間を線へ戻すために何を減らせばいいのかです。
最後に、一日を長く生きることについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・体験を増やすほど記憶が薄くなる
それでは一つ目、体験を増やすほど、なぜ記憶が薄くなるのかです。
人は損をしたくない生き物です。
一生の時間には限りがありますので、同じ1時間なら、できるだけ多くのものを体験したくなります。
ゲームをしながら動画を流す。移動しながら漫画を読む。映画を倍速で観ながら、気になったことをスマホで検索する。電車の待ち時間など、ちょっとでも時間の隙間ができたら、それをスマホで埋めに行く。
一日に複数のゲームを遊び、複数の映画やアニメを観れば、それだけ多くの作品に触れられます。
しかし一日の終わりに、今日は何をしていたのかと振り返ると、妙に何も残っていません。
忙しかったはずなのに、何もしていないような気がするのですね。
これは、休日に予定を詰め込んだときにも起こります。
朝から店を回り、映画を観て、買い物をして、夜は外食する。充実しているはずなのに、帰宅すると、休日を味わう前に休日が終わっていたような感じがします。
体験の総量は多くても、それぞれの体験に自分がいた時間は短いのです。
複数のメディアを同時に使う傾向と、注意や記憶の関係を調べた研究では、メディアのマルチタスクが多い人ほど、関係のない情報に注意を奪われやすく、記憶の成績も低い傾向が報告されています。つまりマルチタスクにより、そもそもの記憶力自体も低下しているのですね。
一つの体験へ向ける注意が分散すれば、その体験がまとまった記憶として残りにくいというのは、Q太郎にも実感があります。たとえば旅行であっちこっち回ったとき、家に戻るとだいたいどこへ行ったか覚えていません。
点が多すぎると、あとから線として体験を思い出せないのですね。
ここで少しややこしいのは、一つのことへ集中している時間は、その最中には短く感じる場合があることです。
面白いゲームをしていたら、気がつけば3時間たっていた、ということがあります。
ところが、あとから振り返ると、その3時間には場面や出来事が残っています。没頭している状態ですね。
反対に、通知を確認しながらゲームを替え、途中で動画を見て、また別のゲームを始めた3時間は、長く疲れたわりに、何をしたのか残りません。
一日を長く生きるというのは、時計を遅く感じることだけではありません。
あとから振り返ったとき、空白ではなく、一つの時間として残っていることでもあるのです。
・二つ目・空白と沈黙まで埋めてしまう
それでは二つ目、なぜ我々は空白や沈黙まで埋めてしまうのかです。
食事中にテレビをつける理由として、テレビがないと家族の会話がなくなってしまう、というのがあります。
たしかに、同じ番組を家族で楽しんでいるなら、それは「一緒に番組を見る」という一本の線になることもあります。
問題は、沈黙が怖いから、とりあえずテレビをつけ、さらに一人ひとりが別のスマホを見ている状態です。
会話がないと、何か失敗したような気がする。
何もしていない時間があると、人生を無駄にしたような気がする。
だから我々は、空いている場所へ、すぐに何かを入れます。電車の待ち時間がちょっとできたらすぐスマホみたいな感じですね。
しかし沈黙とは、幸福が存在しない時間ではありません。
食事の味や、自分の感覚が入ってくるために、空けてある場所です。
禅の修行道場では、食事を黙っていただく「黙食」が行われています。
食事中におしゃべりしていたら、まあ、しばかれるかどうかは道場によると思いますが、少なくとも静かに食べること自体が修行になっているわけです。
ここでQ太郎が思い出すのが、「孤独のグルメ」です。
主人公の井之頭五郎は、食事をするときは一人です。一緒に食べましょうと言われても断るのですね。それで自分の食べたいものを、自分のペースで食べます。
孤独という題名ですが、あれは寂しさというより、食事をほかの目的に使わない自由なのだと思います。
誰にも邪魔されず、食べるために、食べる。それが孤高の行為なのですね。
食事をしながら、テレビを見て、スマホをしてと、時間を点に刻んでいくのではなく、「食事をする」という一本の線だけにする。食事と向き合い、食事にだけ集中する。この点を線に戻す行為こそが、現代人に平等に与えられた、最高の癒しと言えるわけです。
一本の線が最後まで途切れないから、普通の昼食が、あれほど幸福そうに見えるのだと思います。
・三つ目・一度に一つだけに戻す
それでは三つ目、時間を線へ戻すために何を減らせばいいのかです。
Q太郎は、立派な時間管理術を増やす必要はないと思っています。
時間管理の項目を増やしたら、それも新しい点になります。
やることは単純で、一度に一つだけに戻すことです。点を線に戻していく作業ですね。
食事をするときは、食事だけをしてみる。
トイレへ行くときは、スマホを持っていかない。
ゲームを遊ぶなら、しばらくは一つのゲームを遊ぶ。
動画を見るなら、別の画面を同時に開かない。
ある意味、現代人にとっては退屈に耐える作業でもありますので、全部を毎日守る必要はありません。訓練されてないと、たぶん大きなストレスになる可能性もあります。普段筋トレをしない人が、いきなり腕立て伏せ100回するようなものですね。
だから最初は無理をせず、一日のどこかに、分割しない時間を一本だけ作ればいいと思います。「孤独のグルメ」が好きなら、食事の時間は食事だけをするとかですね。
これは、効率を捨てて、のんびり生きましょうという道徳の話でもありません。
家事をしながら音楽を聴くのが楽しい人もいますし、家族でテレビを見ながら食事をする時間が、一つの大切な体験になる人もいます。それはそれでいいのです。ガチガチにやる必要はないわけです。家族がいる人なら、それぞれの生活スタイルの違いもありますし、自分のやり方を強要するのが一番良くないですね。
それに問題は、複数のことをしているかではなく、その時間が自分の中で一つの線につながっているかです。
楽しみを増やしたつもりなのに、次はあっち、次はこっちと気持ちが何度も切り替わり、最後に何をしたか思い出せない、何も残らないのであれば、時間の中の点が多すぎるのかもしれません。
逆に、音楽を聴きながら料理をする時間全体が好きなら、それは一本の線です。
大切なのは、体験の数をひたすら増やすことではなく、自分が今どこにいるのかを見失わないことだとは思います。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、一日を長く生きることについて、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
人間の寿命そのものを、自由に長くすることはできません。
しかし、時間を細かい点へ切り刻まず、一つの経験として線に戻すことはできます。「孤独のグルメ」のように、食事だけに向き合って没頭するとかですね。
現代は、人生にいくつの体験を詰め込んだかで、人生の豊かさを測りたがります。
何か国へ旅行した。何本の映画を観た。何冊の本を読んだ。何本のゲームをクリアした。
数字にすれば分かりやすいですし、人にも説明できます。以前話した、今どきの「オタクになりたい人たち」の考えもこれです。映画が楽しみたいわけではなく、「映画オタク」になりたいわけですね。映画を楽しむこと自体は重要では無いので、「情報」を得るために倍速視聴をしたり、ネタバレを見たりなど、効率的に目的にたどり着こうとします。目的が違うので、それはそれでいいとは思います。
しかし幸福という目的から考えれば、記憶に残る満足した一日を送ることが重要なわけで、一生に何個の点を回収したかではないわけです。
どの時間を、途中で別の刺激に引っぱられず、一本の線として生きられたかですね。つまり没頭した時間を過ごせたかどうかです。
体験を足せば、幸福が増えるとはかぎりません。
むしろ、今ある幸福を、別の刺激で薄めないことのほうが大切です。
「孤独のグルメ」のように、食事以外は何もしない。
この「何もしない」は、時間の無駄ではありません。
夕食を、夕食のまま受け取ることです。食事と向き合い、没頭する。没頭すれば、ほかの刺激に移る必要はないですしね。
ただ結構訓練は必要なので、ちょっとした退屈に耐える訓練と言うのを、空き時間を利用してちょこちょこやっていくのがいいかなとは思います。点を線に変えていく訓練です。哲学者のパスカルも、「人間の不幸は、家でじっとしていられないことだ」と言ってますしね。本当にその通りだとは思います。ただ家族や他人には強制しない方がいいとは思います。ろくなことにならないとは思いますしね。
皆さんには、気がつくと別のことで細切れになっている時間がありますか。
反対に、これだけは一つのこととして味わいたい、という時間はあるでしょうか。
よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
