
こんなコメントをいただきました。
「私も本が好きで、歴史物をよく読んでいます。歴史書にはかなりお金をかけてきました。ただ自己投資したからとって、それが自分の成長につながったり、何かの役に立ったり、収入増加につながったりはまったくありませんが、満足しています」
とのことです。ありがとうございます。
現在の自己投資や成長は、結局お金をいかに稼ぐかにつながる話になってきますが、50代も超えると自己投資の意味は変わってくるとは思います。成長とかいう年齢でもないですしね。若い頃とは違って、ちょっと落ち着きたいわけです。
それで、本を一冊読んで、知らなかったことが分かった。
なるほど、そういう考え方もあるのかと、少しうれしくなる。
ところが、そこで「それを知って何の役に立つの?」とか、「時間の無駄じゃない?」とか言われると、急に自分のやっていることが不安になったりします。
仕事に使う予定はありません。それでお金を稼げるわけでもありません。
誰かへ教える予定もなく、何か役に立つわけでもなく、ただ自分が知って、満足しただけです。
しかし、それはダメなことなのでしょうか。
本を買ったお金のリターンは、すでに返ってきているようにQ太郎は思います。
知らなかったことを知れた。少し賢くなった気がした。自分の疑問に、一つ答えが見つかった。新しい視点を知ることができた。
Q太郎的にはそれでじゅうぶんなわけで、それ以上の成果まで、本に要求する必要があるのかという気もします。
お金を使うなら、自己投資をしましょう。自分を成長させましょう。将来の収入につなげましょう。
こういう話は、よく聞きます。若い頃はお金を稼がないといけないので、それでいいとは思います。成長したい人は、バリバリ成長してください。
ただ、50代以降も、使ったお金をすべて成長につなげようとしたら、人生がずっと仕事のままになってしまいます。
そろそろ、自分に返ってくるものを、自分の中で受け取って終わってもいいのではないでしょうか。外部の評価ではなく、自分の中での評価ですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「自分のためだけのリターン」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、お金を使った成果を外へ説明しようとしていないか。
二つ目、自分の中に返ってくるリターンとは何か。
三つ目、そのリターンを自分で評価するにはどう考えればいいのかです。
最後に、50代以降のお金の使い方について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・楽しんだあとまで成果を求める
それでは一つ目、お金を使った成果を外へ説明しようとしていないかです。
我々は、何かへお金を使うとき、その理由を立派にしたくなります。
旅行なら、見聞を広めるため。
読書なら、知識を仕事へ役立てるため。
趣味なら、スキルを身につけるため。
そう説明すると、無駄遣いではなく、将来へつながる出費のように見えます。
自分でも安心できますし、他人にも説明しやすいのですね。
べつにそれはそれでいいんですけど、しかし、それが習慣になると、楽しんだあとまで成果を求め始めます。
旅行は楽しかったけれど、何か成長できただろうか。
本は面白かったけれど、仕事に使えるところがなかった。
ゲームは楽しかったけれど、何時間も使って、自分には何が残ったのだろうか。時間の無駄だったのではないだろうか。
「楽しかった」というリターンをすでに受け取った直後に、それだけでは足りないと、自分で取り消してしまうわけです。
会社で成果を求められ、休日にも成果を求める。
これでは、会社から帰っても、頭の中に上司が住んでいます。
しかもこの上司は、自分自身なので、退職しても辞めてくれません。うざい存在なわけです。
Q太郎は、50代以降も、このウザイ上司へ毎回報告書を出す必要はないと思っています。
これからも成長できる部分はあるでしょうし、反対に、以前のようにはできなくなる部分もあります。
衰えるものは衰えるとして受け入れながら、それでも今の自分が受け取れる喜びはあります。
毎回、自分を以前より優秀にするために、お金を使わなくてもいいのです。
「老いてますます盛ん」という言葉がありますけど、老いにいつまでも抵抗し続けるのって、正直どうなのかなという気もします。年齢とともに、ひたすら苦しくなるだけなのでは無いかと。
なんか電車でも、席を譲ろうとすると、「まだそんなに年を取っていない」とキレてくる高齢者がいたりしますが、自分はまだ高齢者じゃないつもりでも、まわりから見れば高齢者なわけです。
「自分ではそこまで年を取っていないと思っても、まわりから見れば、もうそんな年なんだな」と客観的にとらえて、受け入れたほうがいいんじゃないかとは思います。
仮に座りたくない場合でも、ゆずってくれたことに対して「ありがとう」ぐらいの感謝はいったほうが、穏やかで、ふところの深い年の取り方とは思いますね。
現実を受け入れられなくて、キレ散らかされても困るわけです。
老人ホームでも、職員の方がゆっくりした声や、子供に対するような言葉づかいで話しかけたりすると、「まだ耳は大丈夫だ」とかキレ散らかす人がいたりしますが、自分でそう思っていても、はたから見れば高齢者とだということは受け入れたほうがいいので、「お気遣いありがとうございます。耳はまだ大丈夫です」と普通に穏やかに言えばいいだけなわけです。
そういう意味で、テレビでやっているような若返りの方法とかアンチエイジングとか、あういうのは人間のメンタルにあんまりよくないんじゃないかとは思います。年を取るのが悪い事みたいな感じになっていますしね。
・二つ目・知ったこと自体がうれしい
それでは二つ目、自分の中に返ってくるリターンとは何かです。
冒頭の、本を読んだ話へ戻りましょう。
たとえば、昔から不思議に思っていたことの理由が分かったとします。
なぜ人は、必要でもないものをセールで買ってしまうのか。
なぜ過去の選択を、結果が分かったあとから責めてしまうのか。
それが分かると、今まで見ていた世界が、少し違って見えます。
すぐに行動が変わらなくても、知ったこと自体がうれしい。
自分の知識が一つ増えたことに、満足できるわけです。
ここで、「それなら成長しているじゃないか」と思う人もいるでしょう。
たしかに、知識が増えることを成長と呼ぶなら、成長しています。
今回の「成長しなくていい」というのは、その変化を、収入や能力の証明へつなげる義務はないという意味です。
賢くなってもいいですし、分からないことがさらに増えてもいい。
本を読んで、世の中は思っていたより複雑だなと感じただけでもいいのです。
知識を増やして、誰かとの会話で勝つ必要もありません。
知っていることを披露して、すごいと思ってもらう必要もありません。
誰にも見られていない、自分の中だけで、なるほどと思っていればいいのですね。
ゲームも同じです。
面白い場面があった。音楽がよかった。あの世界を歩いている時間が好きだった。
上達しなくても、最後までクリアしなくても、その時間に楽しさを感じたなら、すでに返ってきたものがあります。
映画を観て心が動いた。旅行先で見た景色が、ふと思い出に残っている。
温泉へ入ったら、体が温まり、気分がよくなった。
温泉から出たあとで、何か新しいスキルを身につけている必要はありません。
湯につかる前より仕事ができるようになっていなくても、別に困りません。
気持ちよかった。それで、そのお金の役目は果たされています。
リターンは、自分の社会的地位や、銀行口座へ返ってくるものだけではないのです。多くの場合、その場で受け取っていたり、何年後かに思い返して「あのときは楽しかった」と感じたりする。それだけでいいわけです。じゅうぶんすぎるリターンなわけです。お金という物差しだけで評価しようとするから、話がややこしくなるのですね。
・三つ目・評価するのは自分
それでは三つ目、そのリターンを自分で評価するにはどう考えればいいのかです。
ここで一番大切なのは、「自分にとって」という部分です。
世間で評価されている経験なら、誰にでも大きなリターンがあるとはかぎりません。
有名な観光地へ行くより、近所の温泉へ行ったほうが満足できる人もいます。旅行に行くのが面倒くさい、そもそも旅行が好きじゃないという人もいますしね。
高級な料理より、いつもの食堂で好きなものを食べるほうが、気持ちが落ち着く人もいるでしょう。
旅行の経験が少ないから、人生が薄いということにもなりません。
家で本を読んでいるだけで、本人の中には、豊かな時間が流れているかもしれません。
外から見えるものが少ないので、ほかの人には、そのリターンが分からないだけです。というか、評価基準は「自分が満足したかどうか」という超主観的なものなので、他人には評価しようがありません。なんの客観性もありませんしね。
そんな感じで、自分のお金を使った意味まで、外の人に採点してもらう必要はありません。
ただ、自分で評価するというのは、買ったものを何でも正当化することとも違います。
評判がよかったので買ったけれど、自分には合わなかった。
旅行へ行ったけれど、疲れたばかりで、あまり楽しくなかった。
それなら、その感覚も受け取ればいいと思います。ようは、自分に合わなかったということですね。それなら次回から避ければいいだけです。
自分に何が返ってきたかは、自分が一番正直に見なければ分かりません。
以前、経験を増やせば、それだけ幸せになるとはかぎらないという話をしました。
今回も、体験をたくさん買おうという話にはなりません。
自分が何に満足するのかを少しずつ知り、その方向へお金を使うということです。
買った数や、使った金額が多いほど、リターンが大きくなるわけではありません。
少ない支出でも、自分の中に十分返ってくるものがあれば、それでいい。
逆に、高いお金を使っても、自分には何も返ってこないこともあります。
だからこそ、他人が何を買ったかより、自分が何を感じたかを覚えておくほうが、次のお金の使い方にもつながるのだと思います。
・まとめ・Q太郎の見立て
最後に、50代以降のお金の使い方について、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
Q太郎は、お金を使った意味を、他人へ証明する必要はないと思っています。
本を読んで少し賢くなったとしても、その知識を使ってお金を稼ぐ必要はありません。
自分の疑問が解けて、満足した。
それでもう、お金を使った意味はあります。すでにリターンを得ています。
好奇心が満たされた。気持ちが楽になった。楽しい時間があった。
こういうものは、履歴書へ書けませんし、年収にも表れません。
しかし、本人の人生には、確かに起きたことです。
外へ説明できないからといって、自分が受け取ったものまで無価値にしてしまう必要はありません。
我々は、成長しない出費を無駄と考えがちですが、成長することだけが、生きている意味でもないでしょう。
ただ知っていたい。ただ遊んでいたい。ただ気分よく過ごしたい。
そういう自分のためだけに、お金を使ってもいいと思います。
若い時に、お金を増やすために人生を使ってきたのなら、そろそろ人生へ返してもらってもいい。
返ってくるものは、お金でなくていいのです。
皆さんには、仕事に役立ったわけでも、誰かに認められたわけでもないけれど、お金を使ってよかったと思うものがありますか。
よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
