買わないで後悔するより、買って後悔した方がいい?ー消費行動の見極め方
新NISA一括投資→即毎月定率取り崩し運用中のQ太郎です。
今回は買わないで後悔するより、買って後悔した方がいいかどうかについてです。
本記事をYouTube動画で観たい方はこちらのリンクから。
集中力が続かない
こんなご質問をいただきました。
「40代後半の男性です。Q太郎さんの「退屈は人生の不幸」という動画を観て、いままさに自分がその状況なので投稿させていただきました。(たぶんこの動画ですね)。
現在FIREというほどではないのですが仕事の量を減らし、自分の時間を多く確保することに成功しました。
それで最初のうちはゲームや読書、映画などを楽しんでいたのですが、最近は集中力が続かなくなり、すぐに飽きてしまいます。
とくにゲームは好きですし、今も好きなのですが、ちょっと遊ぶと飽きてしまいます。クリアしたい気持ちはあるのですが、どうしても続きません。
そんな状態なのに新作ゲームが欲しくなり、どんどん買ってしまいます。買ったものはかならず遊んでいるのですが、途中で飽きてしまいます。
無駄遣いのような感じもしますし、「クリアしてから新しいのを買え」というのは重々承知です。しかし一生の時間が限られていることを考えると、買わないで後悔するよりも、面白そうな新作ゲームを触りだけでも体験しておきたいというのもあります。
ゲーム自体に飽きているわけではないのですが、ゲームをプレイすると飽きるというがあります。
このままゲームを買い続けるのはお金の無駄と言えるでしょうか。動画でおっしゃっていた「消費社会ではモノではなく記号や概念を消費させるので、つねに満足感が得られない」というのがあり、この状態になっている気もします。記号や概念をいくらもらっても満腹状態にはならないでしょう。
ただその一方で、「人生は経験が大切」とも思っており、「新作ゲームを体験する」ということも私にとっては重要なことです。このような「体験」は、単に記号や概念を消費しているだけとは思えないのです。
それだったら遊ばないで後悔するよりも、買って遊んで後悔した方がまだましかなとも感じています。
他の節約系ユーチューバーも「我慢しすぎるとストレスが貯まるので、欲しいものは買った方がいい」とおっしゃっていました。
この「買わない後悔」という考え方自体は正しいものでしょうか。ご返信いただければ幸いです。」
とのことです。
内容をまとめると、
・ゲームは好きで新作も買うけど、遊ぶとすぐに飽きてしまう。それはわかっているけど、「新しい体験」のために新作ゲームを買ってしまう。
・「体験」は「記号や概念の消費」にはならないのではないのか。
・一生の時間はかぎられているので、買わない後悔よりも買って後悔したほうがいい。この「買わない後悔」という考え方自体は正しいかどうか。ただの無駄遣いかどうか。
となるとは思います。
「消費社会ではモノではなく記号や概念を消費させる」というのは、以前に紹介した國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』に書かれていることです。面白い本なので興味のある方は読んでみてください。
「記号や概念の消費」というのは、そのモノ自体を消費するのではなく、たとえば「人気の新作」とか「あの有名人が通っているレストラン」とかの、モノの上に付属する付加価値などが目的となっている場合ですね。このような記号や概念はいくらでもつくりだせるので、これらを目的に消費行動をするときりがなくなります。しかも具体的に何かを受け取れるわけではないので、満足感が得られないのですね。
そのため「新作ゲーム」「人気ゲーム」「あの有名クリエイターの作品」とかいう記号・概念を目的で買って、買っただけで満足してそのままほとんど遊んでいないというのであれば、これは「記号や概念の消費」になります。満足感が無いので、どんどんまた新しいゲームを買ってしまうのですね。
消費社会というのは、形のない記号や概念を消費させて満足感をあたえず、さらにどんどん消費させるという社会とも言えます。
おいしい料理を食べ続ければどこかで腹いっぱいになってストップがかかりますので、満足感はあります。ただ形のない記号や概念はそうはいかないのですね。いくら消費しても形がないので満腹感もありません。
それで買ったゲームをクリアするまで遊ぶということはどこかで満腹感がでてきますので、次々と新しいものを買おうとする気は無くなるでしょう。
「体験」は「記号や概念の消費」にならないのではないかという点については、クリアまで遊ぶなどがっつり体験すれば満腹感で「もう満足」となって消費行動にはなりませんが、「ちょっと遊んでまた次」を繰り返すと、満腹感もなく「いくらでも消費できる状態」になってしまうため、きりがなくなるのですね。これではいつまでたっても満足感が得られません。
世界三大幸福論の一つであるアランの『幸福論』にも書かれていることですが、駆け足で旅行をして観光地を短時間でまわりまくっていると、けっきょくどこへ行ったのかよくわからなくなります。家に戻ったときに記憶や印象が無いのですね。
アランは「ゆっくりと進み、じっくりと考えることなしに、旅行は何の意味も持たない。それはただ風景を移動するに過ぎない。滝は滝にしか見えない。だから全力で観光地を駆け回る人は、旅を始めたときに比べて思い出が増えていることはめったいにない」とし、駆け足で観光地をまわるより、じっくり一か所にとどまってその土地や文化を深く感じ、精神的に充実した体験を得た方が幸福感が高いと述べています。浅い経験を表面的に行うことの無意味さ、モノの細部をじっくり見ることの大切さを説いているのですね。
今回のケースはこれと似たようなものでしょう。アランに言わせれば本人はたくさんの「体験」をしたつもりでも、実際は駆け足で観光地をまわっているようなもので、何か思い出が増えているわけでもなんでもないですね。滝は滝にしか見えないという状態です。浅い体験は「消費」になってしまっているのですね。
アランは「旅行とは単に場所を移動することではなく、感覚や精神の鍛錬の場である」と述べているので、ゲームも「感覚や精神の鍛錬の場」だと思って、一つのゲームをじっくり遊んでみた方が満足感が高くなるのではないかと思います。「モノの細部をじっくり見て楽しむことが、単調な日常から幸福を引き出す方法」ともしています。
「駆け足の体験」を増やすことよりも、じっくり腰を据えて満足度や幸福感を増やすことを重視するのがいいでしょう。浅い体験だけ増えても生活上の幸福感が何も増えないのでは意味がないですしね。
これはゲームだけでなく、本や映画もおなじで、ぼうっと見ているだけではなく、その細部を調べると楽しくなるとは思います。個人的には歴史もののゲームとか本、映画が、調べることも多いですし、セットや衣装も見どころがあるのでおすすめです。
買わない後悔について
ここまでの話をもとにして、今度は「買わないで後悔するより、買って後悔した方がいい」のかどうかについて考えていきましょう。
先ほども述べたとおり、浅い経験を積み重ねても、アランの言う「駆け足の旅行」でしかありません。そのような満足度の低い買い物を続けても、むしろ「買った後悔」の方が大きくなっていく一方とは思います。経験というよりも記号や概念を買っているようなものなので、買っても買ってもきりがありませんしね。
人間の欲望なんて、かなえようと思ったらきりがありません。いくらでもきりがなくふくらんでいきます。それに自分で気づいて、自分で止めないといけないのです。
「我慢しすぎるとストレスが貯まるので、欲しいものは買った方がいい」というのも一つの道理ですが、ビルゲイツだろうがイーロン・マスクだろうが人間の生涯年収は限りがありますし、無限にものが買えるわけでもありません。ふくらみつづける欲望をどこかでストップさせる必要があります。
そんなわけで、買うのであれば浅い経験を積み重ねる「駆け足の旅行」をするよりも、しっかり遊んでそのものに宿る精神や文化をじっくり感じた方が幸福度は高くなるとは思います。消費行動はひたすら満足感を得られない状態になってしまって、さらに消費が増えてしまいますしね。
ただ「ゲームを遊んですぐ飽きる」というのは、年齢的な問題もあるとは思います。やはり人は年を取ると集中力は落ちてしまうので、長時間ゲームをプレイしたり、本を読んだりするのは難しくなるでしょう。
若いころは集中力があるので、夜通しゲームをしたり映画を観たりというのが可能ですが、さすがに40代後半になってもその感覚で物事をやっていたら精神的にも体力的にもきつくなるとは思います。
人間はどんどん年を取りますし、それが当たり前です。体力や集中力も減っていきますので、「いつまでも若々しく」と頑張って抵抗して苦しむよりは、年齢に合わせた生き方をしたほうが幸せになれるでしょう。生老病死は避けられませんし、どうにもならないものはどうにもなりません。それを理解して生きた方が幸せな人生を歩めるとは思います。
年齢的に長時間プレイできないのは当たり前だと思って、遊ぶ時間を30分とかに絞るのもいいとは思います。ゲームは一日30分ですね。残った時間は「30分だけ本を読む」とか、「30分だけ映画を観る」とか、散歩をしたり料理をしたり掃除したりとか、べつのことに使えばいいでしょう。
だらだらゲームをやって飽きて不愉快な気持ちになるぐらいなら、しっかり時間を制限した方が満足度は高くなります。
それにいろいろなことに時間制限を設けると、一日でできることがけっこうあることにも気付けるでしょう。
まとめ
そんなわけでまとめると、
・駆け足で観光地をまわるより、じっくり一か所にとどまってその土地や文化を深く感じ、精神的に充実した体験を得た方が幸福感が高い。
・浅い経験をいくら積み重ねても、何か思い出が増えるわけではない。単なる消費行動になりがち。「買わなかった後悔」より「買った後悔」ばかりになる。
・人間の欲望はきりがない。どこかで自分で止める必要がある。
・年を取ると集中力が落ちて飽きやすくなる。年齢に合わせた生き方をし、若いころと同じ感覚で物事に当たらない。
・飽きるまでだらだらゲームをするより、時間制限をした方が満足度は高い。一日にできることが結構あることにも気付ける。
となります。
そのため質問者様のケースの場合は、内容で判断すれば「体験」を得ているというよりは「消費行動」になっているとは思います。アランの言うように、浅い体験は思い出にはつながりませんので、このままだと永遠に満足しない状態が続きます。これこそ記号と概念の消費になってしまい、いつまでも満足しないからこそどんどんゲームを買い続けることになるという消費社会の罠におちいってしまいます。
欲しいものは買ったらいいとは思いますが、ただそれは「しっかり使う」ことが前提です。とっかえひっかえ新しいものを仕入れても何の思い出も残りませんので、幸せにもつながりません。それどころかつねに不満足感に悩まされるとは思います。
ファミコン世代がゲームの思い出を語るのも、それだけやり込んでいたからだとは思います。ファミコンの『ドラクエ2』とか復活の呪文がくそ長くて、最後のあたりに出てくるサルみたいな敵は即死魔法のザラキ唱えてきたりで、いまプレイしたら拷問以外の何物でもありませんが、当時はそれでも楽しかったし、やたらと思い出に残っているのは、じっくりやり込んでいたからでしょう。小学生は頻繁にゲームを買えるほどの財力もありませんしね。
そんなわけで、いったん消費行動をストップして、年齢に合わせたプレイ時間にとどめ、余った時間でべつのことをした方が一日の時間を有効に使えますし、全体的な満足度は上がりやすくなるとは思います。