こんなコメントをいただきました。
「最近は脱成長という考えも浸透していっており、最低限のお金を稼いだら、それ以上は稼がずに、自分の好きな生き方をするという人が増えています。50代になったら、あんまり成長とか言っているような年齢でもないので、私も好きなように生きていきたいとは思います」
とのことです。ありがとうございます。
以前、「脱成長とインデックス投資は並立するのか」という内容の動画を出したことがあります。Q太郎自身は、脱成長というほどではないんですが、お金や数字が中心の社会になってしまっているのも、ちょっと問題かなとは思っているんですね。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学チャンネルへ。賢く資産形成をしつつ、お金に悩まされないための生存戦略を日々発信しています。
今回は、50代からはお金や数字以外を軸にして生きる、というテーマで深掘りしていきます。
・脱成長とFIREの根本思想
質問者さんがおっしゃられたように、必要以上は稼がずに楽に生きるという思想は、FIREの根本思想だと、Q太郎は思います。
資本主義から逃げるために、最低限のお金を用意する。あとはお金や数字に振り回されず、自分のペースで生きていく。これがFIREの、もともとの考え方だったはずなんですね。
ただ、ここで一つ、ちょっと気になっていることがあります。
最近のFIREというのは、ちょっとイメージが変わってきている気がするんですよね。
お金をたくさん稼いでFIREしたとしても、そのあとに海外旅行に行きまくったり、高級ホテルに泊まったり、ブランド品を買ったりして、それをSNSにアップして見せる。こういう「豪遊系FIRE」みたいなものが目立つようになってきました。
これ、なんかFIREのイメージ的に違うんですよね。
もともとFIREというのは、資本主義から距離を取るための手段だったはずです。お金や数字に追われる生活から抜け出したい。誰かと比べられる生活から離れたい。そういう思想がベースにあったと思うんです。
ところが、豪遊系のFIREというのは、結局、お金をどう使うかで自分の生活水準を見せつけている。SNSでキラキラした生活を演出するというのは、ある意味、資本主義のゲームを、引き続き全力でプレイしているということなんですね。
資本主義から離れようとして、むしろ資本主義度がさらに強まっている。これでは、なんのためにFIREしたんだ、という話になってきます。Q太郎的に、なんかそれは違うわけです。そもそも資本主義から逃げるという目的が達成されていません。
会社を辞めて自由になったはずなのに、今度は「映える生活」を維持するために、また数字や見栄に追われ始める。これだと、働いていた頃と、本質的にはあまり変わっていないんじゃないかと、Q太郎は思います。結局、自分の見栄のために働いているんですね。しかも結構な重労働な場合もあります。お金もかかります。
それでFIREの本質は、「隠居」だと、Q太郎は思うんですね。
もう十分稼いだので、お金と数字の世界からは、いったん身を引きます。誰かと比較する必要もない。見栄を張る必要もない。静かに、自分のペースで生きていく。
こういう、地味で落ち着いた生き方こそが、FIREの本来の姿に近いんじゃないかと思います。キラキラした生活というのは、ちょっと違う気がするんですね。
このあたりについては、また後日、深掘りしたいと思います。
・50代からは隠居に向かう
話を戻しまして、50代を超えたら、基本的には隠居に向かって進んでいくのがいいんじゃないかなと、Q太郎は思います。
若い時というのは、未来に向かって頑張ったらいいと思うんです。スキルを身につけたり、出世を目指したり、お金を増やしたりと。そういう「前を見て走る」生き方が、若い時期にはちゃんと意味があると思います。時間もたくさんありますし、自分の可能性を試していくというフェーズですね。若いという事は、成長の余白が多い時期でもありますしね。
ですが、さすがに50代くらいになると、状況がかなり変わってきます。
世の中の仕組みもだいたいわかってきていますし、自分がこの社会でどのくらいの立ち位置にいるのかも、もう見えてきています。会社の中での評価とか、業界での自分の限界とか、そういうものが、若い頃よりはっきり見えてくる年齢ですよね。
統計的にも、年収のピークは50代前半なので、そこからは落ちていくわけで、これを引き上げるのは、若い時以上の努力が必要になります。やる気があるんだったらいいですけど、そうじゃないのに、まわりや社会の雰囲気で、それを無理強いさせられるのはちょっとどうかなという気はします。いつの間にか自分が潰れてしまう可能性もありますしね。
それに加えて、体力も落ちていきます。
若い頃は無理をしても翌日には回復したものが、50代になると、回復に時間がかかるようになる。残業や休日出勤を重ねても、若い頃のようには踏ん張れなくなってくる。これは、本人の根性とかやる気の問題ではなく、単純に体の機能として自然なことだと思うんですね。
そもそも40代、50代を越えると、体のあちらこちらが痛くなってくることが、自然になってくる時期でもあります。若い頃の感覚だと「あれ?なんで体が痛くなるんだ?」と不思議に思うかもしれませんが、年を取ると体が痛くなる方が当たり前みたいな状況になってくるのですね。
そういう状況で、まだ「成長し続けないといけない」という前提のまま生きていくのは、ちょっとしんどいんじゃないかなと、Q太郎は思います。
もちろん、まだまだ成長したい人や、実際に成長できる人もいます。そういう人は、そのまま走り続けたらいいと思います。それは、その人にとって自然な生き方ですから。そういう人たちを否定しているわけではないので、そこは勘違いしないでいただければとは思います。
ただ、そうではなくて、世の中の「もっと成長しろ」「もっと上を目指せ」というキラキラした神話に、なんとなく乗せられているだけの人の方が、実は多いんじゃないかという気もします。
本人が本当に望んでいるわけではないのに、「成長しないと取り残される」という空気に押されて、無理に頑張り続けてしまう。これでは、ただ疲弊していくだけなんですね。
50代というのは、そろそろ自分に問いかけてもいい年齢だと思います。
この成長は、自分が本当に望んでいるものなのか。それとも、ただ社会の空気に合わせて、惰性で頑張っているだけなのか。
そこを一度、見極めた方がいいと思います。
そもそも平均寿命が80歳ちょいと考えれば、すでに人生の半分以上を過ぎているわけです。以前の動画でも言いましたが、人生の折り返し地点なわけです。人はいつか必ず亡くなりますので、がむしゃらに前進するだけでなく、自分の人生や生き方についても、ちょっと立ち止まって考えたほうがいいんじゃないかと。そこで哲学が必要になってくるわけです。
それであとは、若いもんに譲って、自分は隠居、みたいな、のんびりした生き方もいいんじゃないかなと、Q太郎は思いますね。
第一線で戦う役割は、体力もあって、これから成長していく若い世代に任せる。自分は、無理に競争のフィールドに残るのではなく、少し後ろに下がって、自分のペースで生きていく。
これは逃げではなく、年齢に合った、賢い生き方の一つだと、Q太郎は思います。何度も言いますけど、頑張れる人はそのまま続けていただければいいのですが、そうでない人は、自分なりの生き方を模索した方が良いかなとは思いますね。
・まとめ
そんなわけで、今回の話をまとめます。
最低限のお金を確保したら、それ以上は無理に稼がず、自分の好きな生き方をする。これは、脱成長の考え方であり、同時にFIREや早期退職の根本思想にも近いものだと思います。
ただ、ここで一つ、気をつけたいことがあります。
FIREや早期退職したあとに、海外旅行やブランド品、高級ホテルなどでキラキラした生活をSNSとかで見せつけるようなことになると、それは資本主義から逃げているようで、実は資本主義にさらに深く取り込まれている状態かもしれません。
お金や数字から離れたいと思って始めたはずなのに、結局、また別の形でお金や見栄に振り回されてしまう。これでは、本末転倒になってしまいます。
FIREの本質は、隠居だと、Q太郎は思います。誰かと比較する必要もない、見栄を張る必要もない、静かに自分のペースで生きていく。あとは若いもんに譲る。これが、FIREの本来の姿に近いんじゃないかと思います。
そして、これは50代以降の生き方そのものにも、同じことが言えると思います。
世の中の仕組みもわかってきて、自分の立ち位置も見えてきて、体力も落ちていく。統計的に収入がピークになる時期でもある。そういう年齢になってもなお、「もっと成長しろ」「年齢は関係ない」というキラキラした神話に乗せられて、無理に頑張り続ける必要はないと思うんですね。体力があって、頑張れる人はいいんですけど、多くの人は厳しいんじゃないかとは思います。
本当に成長したい人、成長できる人は、そのまま走り続けたらいい。でも、そうではないなら、若いもんに譲って、自分は隠居、みたいな、のんびりした生き方を選ぶのも、十分にありだと思います。
無理に前を見続けるのではなく、少し肩の荷を下ろして、自分のペースで生きていく。お金や数字、社会の空気に振り回されず、自分の好きなことを軸にして生きていく。
50代以降は、そういう生き方への切り替えどきなんじゃないかと、Q太郎は思います。
皆さんは、50代以降の生き方について、どんなイメージを持っていますか。また、FIREに対して、隠居型と豪遊型、どちらのイメージを持っていますか。よかったらコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
