過去の自分を責めても意味がない|選ばなかった人生と後知恵バイアス

過去の自分を責めても意味がない|選ばなかった人生と後知恵バイアス
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。40代を振り返ったとき、もっと早く始めればよかった、もっと早くやめればよかったと思うことがあります。しかし現在の自分は、結果を知ったあとで、答えを知らなかった過去の自分を採点しています。...

こんなご質問をいただきました。

「老後となられた今、20代ではなく、40代を思い返して、どういった後悔があるかお伺いしたいです」

とのことです。ありがとうございます。

Q太郎は、まだ50代へ入ったばかりなので、老後と言うほどではなかったりします。

ただ、40代を振り返って、何か強い後悔があるかと聞かれると、基本的にはありません。

もちろん、「別の選択をしてもよかったかな」と思うことはあります。

あのとき、こちらを選んでいれば、現在は違っていたかもしれない。

もっと早く始めていればよかった。もっと早くやめていればよかった。

そのように考えることはあります。もっとベストな選択があったのではないかというものですね。

しかし以前の動画でも話したように、未来の自分は、過去の自分を後出しで批判します。

結果を知っているからです。

株価が上がったあとなら、「なぜあのとき買わなかったのか」と言えます。

仕事がうまくいかなかったあとなら、「なぜもっと早く辞めなかったのか」と言えます。

結婚生活が破綻したあとなら、「なぜあの人と結婚したのか」と言えます。

しかし過去の自分には、その結果が見えていません。

現在の自分は、答えを見たあとで、問題を解いていた自分を採点しているのですね。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「過去を振り返って後悔はあるか」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、未来の自分は答えを知っていること。

二つ目、選ばなかった人生は、都合よく美化されること。

三つ目、過去の自分に同意できなくても、理解はできることです。

最後に、変わり続ける自分と、どのように付き合うのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・未来の自分は答えを知っている

それでは一つ目、未来の自分は答えを知っていることです。

人は、そのとき持っている情報、能力、感情、置かれた環境の中で、一番ましだと思う選択をします。

必ず正しい判断をする、という意味ではありません。あくまでその状況と、自分の持っている知識や経験の中で、「まし」という話ですね。ベストとはかぎらないわけです。

感情に流されることもあります。面倒な問題を先送りすることもあります。明らかに考えが足りない場合もあります。

それでも本人は、その瞬間には、別の選択肢より、この選択のほうがましだと思っています。ある意味、その時点におけるベストなわけです。

例えば結婚する人は、少なくとも結婚した時点では、その人と一緒に暮らすことが、自分にとってよい選択だと考えています。その時点では、それがベストだったのですね。

その後、性格の違いが大きくなったり、仲が悪くなったり、離婚したりすることはあります。

しかし結婚した時点の自分は、10年後の結果を知りません。そのときは、その判断が幸せだったわけです。

ブラック企業へ就職した場合も同じです。

入社する時点では、求人情報、給料、仕事内容、会社の評判など、自分が確認できる情報をもとに、その会社が比較的よいと判断しています。もしくは、ほかに就職できるところがなく、しかたなく行ったのかもしれません。それでも就職しないよりましということで、そのときの判断としては、ある意味ベストだったわけです。

働き始めて問題が分かったあとも、すぐに辞めるとはかぎりません。

収入が途切れる不安、転職に失敗する可能性、家族への責任、自分の能力への自信のなさ。

さまざまな条件を比べ、もう少し残ったほうがましだと判断します。

現在の自分から見れば、「もっと早く辞めるべきだった」と言えます。

しかし、それは転職後の未来や、会社へ残った結果を知った自分の評価です。

未来の自分は、過去の自分より賢いとはかぎりません。

答えを知ってから採点しているだけなのですね。

心理学では、結果を知ったあと、その結果は最初から予測できたように感じることを、「後知恵バイアス」といいます。

代表的な実験では、歴史的な出来事の結末を知らされた人ほど、その結末は起きて当たり前と評価しました。結果を知らなかった自分の視点へ、うまく戻れなかったのです。

クイズでも、答えを聞いたあとなら、「それぐらい分かった」「自分も最初から知っていた」と感じます。しかし答えを聞く前には、その答えを出せなかったわけです。コロンブスの卵なんかもそうですね。答えを聞いたあとなら、「それぐらいわかる」となってしまいます。

未来の自分が過去の自分を批判するときにも、同じことが起こります。会社がブラック企業だったと分かったあとなら、入社前から見抜けたように感じる。結婚がうまくいかなかったあとなら、最初から相性が悪かったように感じる。

しかし過去の自分は、まだ答えを教えられていないわけです。条件が違うわけですね。

・二つ目・選ばなかった人生には失敗がない

それでは二つ目、選ばなかった人生は、都合よく美化されることです。

後悔するとき、人は実際に生きた人生と、選ばなかった人生を比較します。

あの会社を辞めていれば、もっとよい仕事に就けた。

あの人と結婚しなければ、もっと自由に生きられた。

あの株を売らなければ、大きな利益を得られた。

しかし選ばなかった人生は、実際には存在しません。

転職先もブラック企業だったかもしれません。むしろ以前のブラック企業より収入が下がり、生活が苦しくなったかもしれません。つまり、ブラック企業に残ったことのほうがましだった可能性もあるわけです。

結婚しなければ、自由ではあっても、孤独を感じていたかもしれません。結婚して幸せだった期間が短かったとしても、まったくないよりかはましかもしれません。

株を売って、そのあとに暴落して、「うまく逃げられた」と喜んでいたとしても、実際はさらに数年持ち続けていたら暴落から回復して、株価が倍になっているかもしれません。

実際に選んだ人生には、失敗、苦労、退屈、偶然まで、すべて記録されています。

一方、選ばなかった人生には、不都合な出来事が何も記録されていません。

自分の想像の中で、都合のよい場面だけを作れます。

つまり我々は、失敗まで含んだ「現実の人生」と、失敗が起こらない「架空の人生」を比較しています。

これでは、現実の人生が負けるのは当然です。

過去の選択を検討することは必要です。

しかし「あちらを選べば成功していた」とまでは分かりません。

言えるのは、「現在の自分なら、同じ条件で別の選択をするかもしれない」ということだけです。

後悔を学習へ変えるなら、それで十分だと思います。

・三つ目・同意できなくても理解はできる

それでは三つ目、過去の自分に同意できなくても、理解はできることです。

前回の動画では、話が通じない相手と話すためには、相手がその考えに至った経緯を理解することと、その意見へ同意することを分ける必要があると話しました。

「そう考えた経緯は理解できます。しかし、その結論には同意していません」

これは過去の自分に対しても同じです。

40代の自分がした判断へ、現在のQ太郎が同意できないことはあります。

もっと早く行動してもよかった。そこまで時間やお金を使う必要はなかった。別の方法もあった。

例えば、若い時はゲームを買い過ぎたんじゃないかとか、自分に合わないジャンルのゲームも買っていたんじゃないかとか、無駄遣いを指摘できる部分は多いです。

しかし、そのときの情報や環境を考えれば、なぜそう判断したのかは理解できます。

まわりで流行っていたとか、RPGやFPSに対する熱が高かったとか、買わない後悔より買う後悔みたいな思想があったとかですね。

理解したからといって、それが現在の正解になるわけではありません。そのときはそういう考えだったという話です。

いまFPSを遊ぶと、おっさんなので普通に3D酔いします。RPGもストーリーやムービーをだらだらと展開されると途中で飽きます。エフェクトの激しい3Dゲームを遊ぶのは疲れるので、ドット絵のレトロゲームを遊んでいるほうが幸せになれます。RPGも、昔のゲームボーイの「魔界塔士サガ」みたいに、だらだらとストーリーを語らないゲームなど、案外今でも遊べたりします。

そんな感じで、過去の自分を処罰せず、現在と過去の判断の基準や過程を比べられるようになります。

多くの人は、過去の自分へ同意できないと、理解まで拒否します。

「あんな選択をした自分は愚かだった」

「なぜ、もっと早く気づかなかったのか」

「普通なら分かったはずだ」

このように、自分の中で、過去の自分に対して理解のない会話を始めます。

相手を責めることから始めれば、相手は言い訳をするか、黙るか、存在そのものを否定されることになります。

過去の自分に対しても同じです。

自分を責め続けても、当時の判断を冷静に検討することはできません。

「あの判断には同意できない。同意できないけど、あの状況なら、そう考えた理由は分からんでもない」

ここまで分ければ、過去を正当化せずに、現在の行動を変えることができます。

・Q太郎の見立て・過去の自分は別人である

ここからは、Q太郎なりの見立てです。

Q太郎は、過去の自分と未来の自分は、基本的には別人だと思っています。

仏教でいう無常のように、人間は固定された同じ自分のまま生きているわけではありません。

身体、環境、知識、経験、価値観は、つねに変化しています。

40代の自分と、50代の現在の自分は、同じ名前と記憶を持っています。

しかし、欲しいものも、怖いものも、判断の基準も違います。

未来の自分も同じです。

現在の自分が老後のために一生懸命お金を貯めても、70代の自分は、「どうして元気なうちに、もっと使わなかったのか」と批判するかもしれません。Q太郎の場合は、高確率でそういうことを言ってきそうな気がします。とくに亡くなる前とか、すごく言いそうです。後出しで批判してくる未来のクソ野郎なわけです。

逆に現在は失敗だと思っていることを、「あの失敗があったから別の道へ進めた」と評価するかもしれません。人は一貫したストーリーを作りたがるので、自分が成功すると、過去の失敗を突然美談にしたがるのですね。成功者がよく言いそうな、「あの失敗があったから、いまの自分がある」みたいな感じです。まあ、ただの生存バイアスなんですけどね。

そんな感じで、未来の自分というクソ野郎は思想も違っている可能性が高いです。

だから現在の自分を犠牲にして、未来の自分というクソ野郎へ際限なく奉仕する必要もないと思います。

ただし別人になった未来の自分にも、過去の自分を理解することはできます。

「当時の自分には、この情報しかなかった」

「その時点では、この選択が一番ましに見えた」

「現在の価値観とは違うが、そう判断した理由は分かる」

以前紹介した「5分前仮説」で言えば、我々は他人のセーブデータを引き継いだ存在です。

セーブデータの内容は変えられません。

持っている資産、現在の仕事、人間関係、これまでの選択を引き継ぎます。

しかし前のプレイヤーを責め続けても、ゲームは進みません。

なぜその場所へ来て、なぜそのアイテムを持ち、なぜその選択をしたのかを理解する。

そのうえで、現在の自分なら、ここからどう立ち回るかを考えればよいのです。

過去の自分を許す必要さえ、ないのかもしれません。

そもそも現在の自分が裁判官になり、昔の自分へ有罪判決を出す必要もありませんし、許す必要もありません。

過去の判断に同意できなくても、その人がそうした理由は理解できる。

そして、その人が残した結果を、現在の自分が引き受け、次の判断をする。

後悔とは、過去の自分を罰するためにあるのではありません。

現在の自分が、ここから別の行動を選ぶためにあるものだとは思います。

皆さんは、過去を振り返って、後悔していることがありますか。

また、現在なら同意できないけれど、当時の自分の判断は理解できるということがあれば、コメント欄から教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました