夢が今を不幸にする?「欲望という契約書」を書き換える

夢が今を不幸にする?「欲望という契約書」を書き換える
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。「これを手に入れたら幸せになれる」と思うことは、自然なことです。ただ、その願いがかなうまでの今を「不幸」と決めてしまうなら、欲望は自分で結んだ契約書になるかもしれません。今回は、ナヴァル...

こんなご質問をいただきました。

「資本主義の問題点ですが、「夢をかなえる」や「これを手に入れたら幸せになれる」という宣伝が多く、それによって不幸な人を量産していると思います。反・成長主義が注目されるのも、これら夢や物質的な幸せにいい加減、腹が立っている人が多いからだと思います。よろしければQ太郎さんのご意見お聞かせください。」

とのことです。ありがとうございます。

「これを手に入れたら、幸せになれる」

Q太郎も若い頃はそういう考えがありましたね。

もう少しお金があれば幸せになれる。

欲しかったものを買えれば幸せになれる。

この仕事に就ければ幸せになれる。

夢がかなえば、ようやく自分の人生に納得できる。

どれも自然な気持ちだと思います。ほとんどの人がそうじゃないかとは思います。ミュージシャンになりたいとか、サッカー選手になりたいとか、若い頃はいろいろ夢がありますよね。Jポップの音楽も、「夢をあきらめない」みたいなのがほとんどとは思います。

ただ、この言葉には、裏側があります。

「これを手に入れたら幸せになれる」「夢をかなえたら幸せになれる」と思った瞬間、今の自分は、まだ幸せではないことになるんですね。ここ、結構重要なところです。人間の思考は相対的なので、「幸せ」というのは、「不幸」があるから「幸せ」が定義できるのですね。

つまり「幸せになれる」ということは、相対的に「いまは不幸」という思考になってしまうわけです。これは人間の脳が物事を相対的に、つまり比較で考えてしまうからです。未来と今の比較ですね。

シリコンバレーの投資家、ナヴァル・ラヴィカントさんに、こんな言葉があります。

「欲望とは、「欲しいものを手に入れるまで、私は不幸でいる」と、自分自身で結ぶ契約である。」

なかなか怖い言葉です。

欲しいものを見つけただけなのに、同時に、自分は今、不幸ですという契約書へサインしている。人間の脳というのは比較で物を考えるので、そう認識してしまう。「幸福な未来」、つまり「不幸な今」を認識してしまうわけです。

手に入れるのが明日なら、不幸でいるのは一日です。

手に入れるまで十年かかるなら、十年間、自分の人生を不幸と感じてしまう。

そして、一生手に入らなければ、一生、自分は不幸だったことになります。

でも、Q太郎は、欲しいと思うこと自体が悪いとは思っていません。

問題は、欲望ではありません。

「手に入れるまで不幸でいる」という条項です。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。今回は「欲望という契約書」を深掘りしていきます。

今日は大きく三つ話します。

一つ目、欲しいものがあること自体は、べつに悪くはないということ。

二つ目、夢を持った瞬間に、現在の自分を不幸にしてしまう仕組み。

三つ目、夢を目指さないことや、途中であきらめることも受け入れるという考え方です。

最後に、欲望という契約書をQ太郎ならどう書き換えるか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・欲しいものがあってもいい

それでは一つ目、欲しいものがあること自体は、べつに悪くはないです。

欲しいものがあるから、人は動きます。

行ってみたい場所があるから、旅行の計画を立てる。

やってみたい仕事があるから、勉強する。

作りたいものがあるから、時間を使って挑戦する。

欲望がなければ、何も始まらないこともあります。

欲しいものが目の前にある。そのことを考えると楽しい。少しずつ近づいていく時間も面白い。

そういう欲望まで捨てる必要はないと、Q太郎は思っています。まあ、突き詰めていけばドーパミンの快楽でしかないんですけど、べつに積極的に捨てる必要もない。

欲望は、進みたい方向を教えてくれることがあります。

ただ、方向を持つことと、今いる場所を否定することは別です。

東京へ行きたいと思ったからといって、今いる群馬や栃木が不幸な場所になるわけではありません。「地元のヤンキーがカツアゲしてくる」とか、「毎晩暴走族がうるさい」とか、そういう切実な例外は除いて、東京に行きたいからといって、地元を否定する必要はないわけです。

目的地を決めても、現在地まで嫌いになる必要はないんですね。「いや、うちの地元はガチでヤバい」とか言う人もいそうな気がするし、以前も言いましたが、Q太郎の実家の近くのアパートには高級車が停めてあって、なんか反社っぽい人が住んでいたりして、アパートの前のゴミ捨て場は汚くて、あきらかにヤバい気がするのですが、まあ、なんというか、「地元を離れて東京に行きたい」というのは、あまり適切な例ではなかったかもしれません。すみません。

なんにしろ、欲しいものがある。

でも、今持っていないからといって、自分は不幸ではない。

東京には行けないけど、地元にいる自分は不幸ではない。

この二つは、同時に成り立つと思います。地元ヤンキーや反社の例はいったん忘れてください。

ところが私たちは、欲望を持った瞬間に、現在の自分へ不足という名前をつけます。

まだお金が足りない。

まだ成功していない。

まだ夢をかなえていない。

「まだ」という言葉によって、今日という一日が、未来の幸福を待つための控え室になります。

Q太郎が問題だと思うのは、欲望を持つことではありません。

欲望のために、現在の人生を不幸だと思い込んでしまうことです。

・二つ目・夢が現在を不幸にする

二つ目、夢を持った瞬間に、現在の自分を不幸にしてしまう仕組みです。

夢という言葉には、明るい響きがあります。

夢を持とう。目標を決めよう。あきらめずに努力しよう。Jポップの歌詞はだいたいこんな感じですね。学校でも夢を持つように言われます。

若い頃からそう刷り込まれていくと、夢がある人は立派で、夢がない人は何かが足りないようにも聞こえます。

そして夢を持ったら、次は、かなえなければならなくなります。

かなえば成功。かなわなければ失敗。

途中でやめたら根性がない。別の道へ進んだら逃げた。

こうして夢は、進みたい方向ではなく、返さなければならない借金のようになります。

Q太郎もYouTubeをやっていると、数字を目にします。

再生数、登録者数、クリック率、視聴時間。

この数字に届けばうれしい。もう少し伸びてほしい。次はもっと多くの人に見てもらいたい。

そう思うこと自体は悪くありません。

でも、「この再生数に届かなければ、今日の動画は失敗だ」と決めた瞬間、動画を公開してから、自分の納得のいく再生数に届くまで、自分から不幸の契約を結ぶことになります。

そして目標へ届いたら、契約が終わるのか。

たぶん、次の数字が見えてきます。

二千回に届けば、次は三千回。三千回に届けば、次は一万回。

幸福になるはずだった数字が、次の不幸契約を作ります。

これは、お金でも同じです。

一千万円あれば安心できると思っていたのに、一千万円になると三千万円が欲しくなる。

三千万円になると、五千万円なければ不安になる。

欲望が一つかなうたびに幸せになるのではなく、不幸でいるための契約条件だけが更新されていきます。

夢がかなうことは、うれしいことです。

でも、夢がかなう日だけが人生ではありません。

そこへ向かう十年も人生です。途中で迷った日も人生です。何も進まなかったように見える午後も人生です。

夢がかなうまでを、すべて不幸な待ち時間にしてしまったら、人生の大部分を自分で不幸にしてしまいます。

・三つ目・夢をあきらめてもいい

三つ目、夢を目指さないことや、途中であきらめることも受け入れるという考え方です。

夢は、必ず持たなければならないものではありません。

夢がない時期があってもいいと思います。

目の前の生活を送り、散歩をして、ご飯を食べて、少し面白いことがあれば笑う。

何者かになる計画がなくても、その一日は不足していません。

そして、一度持った夢を、最後まで追い続ける義務もありません。

始めたときには欲しかった。でも、途中で欲しくなくなった。

やってみたら、自分には合わなかった。

別のことのほうが面白くなった。

思っていたより大きな代償が必要だと分かった。

それなら、やめてもいいんですね。

基本的に人間は、考えがコロコロ変わります。昨日と今日とで考えが変わる。昨日は「節約しよう」と思っていたのに、今日は「一度きりの人生、楽しまないといけない」と思って散財する。そんなものです。諸行無常です。

夢をあきらめることは、人生をあきらめることではありません。

自分で結んだ契約なら、自分で解約してもいい。

夢がかなわなかったからといって、それまでの日々が失敗になるわけでもありません。

途中で知ったこと、出会った人、面白かった時間まで消えるわけではないからです。

夢はあってもいいし、なくてもいい。

かなえてもいいし、かなわなくてもいい。

目指してもいいし、途中であきらめてもいい。

Q太郎が大切だと思うのは、どちらを選んだとしても、「だから自分は不幸だ」と決めないことです。

欲しいものを持つたびに、不幸の契約書へサインする必要はありません。

一つだけ考えるとしたら、この欲望がかなわなくても、今の人生を不幸だと思わずにいられるか。

それでよいと思います。

・まとめ

最後に、欲望という契約書を、Q太郎ならどう書き換えるか。Q太郎の見立てを置いて終わります。

元の契約書には、こう書かれています。

「これを手に入れるまで、私は不幸です」

Q太郎なら、この一文を消します。

そして、こう書きます。

「Q太郎は、これが欲しい。だから、少し目指してみます。でも、手に入らない今も不幸ではありません。途中で欲しくなくなったら、やめてもかまいません。最後まで手に入らなくても、Q太郎の人生は失敗ではありません」

欲望という契約書から、欲望を消す必要はありません。というか、人間である以上、欲望を消すのは無理です。

消すべきなのは、「これを手に入れるまで、私は不幸です」という条項です。

願うことと、現在を否定することは違います。

夢はあってもいい。なくてもいい。

かなってもいい。かなわなくてもいい。

どの瞬間にも、不幸はない。

Q太郎は、今のところ、そんなふうに考えています。

皆さんには、かなわなくても持っていていいと思える夢がありますか。あるいは、手放したことで楽になった夢はあるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました