
こんなご質問をいただきました。
「いつも動画を拝見しています。資金は足りていると思うのです、老後の心配はどうしてもあるので、お金はいくら貯めても安心できませんね。Q太郎さんはどう割り切っていますか?」
とのことです。ありがとうございます。
「老後にこれだけあれば足りる」というのは、どういう生活をするのかで変わってきますが、心配を始めると、正直、キリが無くなります。
老後が心配だから、資産額を確認する。
年金の見込み額を計算する。
毎月の生活費も調べる。
ここまでは、老後への備えです。
ところが、必要な数字を確認したあとも、また資産額を見る。
株価が少し下がれば、老後は大丈夫だろうかと考える。
物価が上がったというニュースを見れば、もう一度計算する。
病気の記事を読めば、医療費が足りなくなる未来を想像する。
それで数字を計算し直して、ひとまず大丈夫だと分かる。
しかし、翌日にはまた心配します。
これ、老後の準備をしているように見えますが、途中からは何も準備していないんですね。
同じ未来を何度も頭の中で再生して、不安になり、もう一度数字を確かめているだけです。別に何か有益なことをやっているわけではない。
それでも私たちは、心配しているほうが安全だと感じます。
心配をやめた瞬間に、何か悪いことが起こるような気さえします。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「老後の心配をやめられない理由」を深掘りしていきます。
・三つのこと
今日は大きく三つ話します。
一つ目、私たちは、なぜ心配することに意味があると思ってしまうのか。
二つ目、心配が外れたときに、なぜ心配癖が強くなるのか。
三つ目、老後への備えと、終わりのない心配をどう分けるのかです。
最後に、心配は老後を守る保険になるのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・心配は予防ではない
それでは一つ目、私たちは、なぜ心配することに意味があると思ってしまうのかです。
心配している人を見ると、真面目な人に見えます。
先のことを考えている。
危険を軽く見ていない。
家族や将来に責任を持っている。
反対に、心配していない人を見ると、無計画に見えることがあります。
老後のことを考えなくて大丈夫なのか。
病気になったらどうするのか。
インフレが続いたらどうするのか。
心配する人と、何も考えない人。
この二択なら、心配する人のほうが正しそうです。あくまで「正しそう」なだけで、本当に正しいかどうかはまた別問題ですが、なんか将来のことを考えている人のほうが計画性があるように見えます。
ただ、本当にこの二択しかないのでしょうか。
老後資金を計算し、必要な対策をする人。たとえば収入を増やすような行動とか、支出を減らすような行動をするとかですね。
一方で、老後について一日中考え続ける人。ただ考えたり、計算をしているだけ。
この二人は、同じではありません。
前者は、行動しています。
後者は、心配しています。
心配そのものに、預金残高を増やす力はありません。
年金額を増やすことも、病気を防ぐことも、物価を下げることもできません。
心配した結果、支出を見直した。
積立額を決めた。
保険を整理した。
ここまで行けば、現実に働きかけています。
しかし、行動を何も変えずに、悪い未来だけを繰り返し想像することは、予防ではありません。
頭の中で避難訓練をしているように見えて、実際には非常口の場所すら変わっていないんですね。
堀田秀吾さんの著書「考えてはいけないことリスト」では、心配についての、ペンシルベニア州立大学の研究が紹介されています。
心配したことの八十五パーセントは起こらず、残る十五パーセントのうち七十九パーセントにはうまく対処できた。したがって、心配の約九十七パーセントは、起こらないか、起きても対処できるとされています。
つまり、心配しなかった人も、問題が起きてから対処しても、全然問題なかったということですね。
心配は、未来を予言する能力ではありません。
まして、未来を防ぐ能力でもないのです。
さらに、同じペンシルベニア州立大学の別の研究では、心配が問題解決へどう影響するかも調べています。
参加者は、自分が現在抱えている問題について、心配するように考えるグループ、客観的に考えるグループ、呼吸法を行うグループに分けられました。
そのあとで解決策を考えてもらうと、心配するように促されたグループの解決策は、客観的に考えたグループより、第三者から見た有効性が低くなりました。
もともと心配しやすい人では、自分が考えた解決策への自信も低くなりました。
そして、その場での心配が強いほど、解決策を実行しようとする意思も弱くなりました。
心配は問題を解決する準備だと思いがちですが、実際には、解決策の質や、それを実行する力まで弱める可能性があるんですね。
「じゃあ、心配しても意味ないじゃん」という話ですが、実際にそんな感じだとは思います。
心配を重ねるほど、未来へうまく対処できるわけではありません。
むしろ、心配をいったん脇へ置き、問題を客観的に見ることが、現実への対処につながります。
例えば老後の心配をして、現在の健康や残り時間を無視して働き続けて、結局亡くなる前に「おれ、なんでこんなに時間無駄にしてたんだ?」ってなるかもしれませんしね。
・二つ目・何も起きないほど心配が強くなる
二つ目、なぜ人は心配したことが起こらなくても、さらに心配が強くなるのかです。
普通に考えれば、心配したことが起こらなかったら、次からは安心できそうです。
今回も何もなかった。
心配の多くは、考えすぎなのかもしれない。
そう学びそうなものです。
ところが、人の頭は、反対のことを学ぶ場合があります。
心配した。
何も起きなかった。
だから、心配したおかげで防げた。
こう結び付けてしまうんですね。完全に因果関係を間違えているわけです。
雨が降らないように、毎朝、玄関で三回ジャンプしている人がいたとします。
その日に雨が降らなければ、「やはり三回ジャンプしたからだ」と思う。
雨が降った日は、「今日はジャンプの高さが足りなかった」と考える。
こうなると、この習慣は永遠に終わりません。
心理学では、このように偶然起きた結果によって、因果関係のない行動が強化されることを、「迷信的強化」と呼びます。
心配にも、似たことが起こります。
老後破産が怖いので、一年間ずっと心配した。
一年後、まだ破産していない。
すると、「心配していたから破産せずに済んだ」と考えます。
もちろん、心配をきっかけに支出を減らしたのなら、その行動には意味があります。
しかし、何も行動していないのに、悪い結果が起きなかったことまで心配の功績にすると、心配を手放せなくなります。
昨日も心配したから、今日も無事だった。
だから、今日も心配しなければならない。
心配をやめて何か起きたら、油断した自分の責任になる。
こうして心配は、未来の危険を知らせる警報ではなく、鳴っていないと不安になる生活音へ変わります。
火事が起きていないのに、火災報知器が毎日鳴っているようなものです。
最初は危険を知らせるための音だったはずが、いつの間にか、音を聞くことで安心するようになります。心配中毒です。
話は少しそれますが、Q太郎は、ゲームでも回復薬を使えないことがあります。
この先、もっと強い敵が出るかもしれない。
最後のボスで必要になるかもしれない。
そう思ってエリクサーとかを温存し、結局、最後まで大量に残します。結局使わないでクリアできたりするのですね。
老後資金も、少し似ています。
将来何が起こるか分からないから使えない。
お金が十分にあっても、安心できない。
そして、安心できないから、もっと貯めます。そして亡くなる前に、「使えばよかった」というお金がたくさん残ったりするわけです。それを使う時間はもうありません。
準備が足りないのではなく、心配を続けることが準備だと思っているなら、目標金額へ到達しても終わりません。時間だけがどんどん減っていきます。
・三つ目・備えには終了条件がある
三つ目、老後への備えと、終わりのない心配をどう分けるのかです。
Q太郎は、備えには行動と終了条件があると思っています。
老後の生活費を見積もる。
年金の見込み額を確認する。
不足額を計算する。
その不足に対して、毎月いくら積み立てるかを決める。
ここまでやったら、その日の老後対策は終わりです。
次に見直す日を、半年後や一年後に決める。
それまでは、毎日の株価やニュースに合わせて、人生設計を計算し直さない。
未来は変わりますから、計画の見直しは必要です。
ただし、毎日見直すことと、毎日心配することは、ほとんど同じになってしまいます。
一方、心配には終了条件がありません。ここが一番やっかいなところですね。
一千万円あれば、二千万円ないことが心配になる。
二千万円あれば、三千万円ないことが心配になる。
三千万円あれば、長生きしすぎることや、大きな病気になることが心配になる。
不安は、資産額に合わせて新しい問題を作ります。
ここでQ太郎は、日本には年金や医療保険、介護保険があり、最後には生活保護という安全網もあることを、もう少し思い出してよいと思っています。
そもそも高齢になったら働けませんので、生活保護を取るのもそんなに難しくはないですしね。
そんな最後の安全網まである日本で、老後不安もクソもないと、Q太郎は思うところもあります。
未来のすべてを、今日の心配で管理しようとするから、老後不安には終わりがなくなるのです。
・まとめ
最後に、心配は老後を守る保険になるのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
老後に備えることは必要です。
生活費を調べる。
年金額を確認する。
不足分を積み立てる。
ここには、現実を変える行動があります。ただゴールを決める必要があります。
日本で投資やFIREの概念を流行らせた三菱サラリーマンの人は、7000万円でFIREしました。このまま会社にいて、さらに一億円の大台まで稼ぐこともできたのですが、キリが無いので区切りをつけたのですね。彼はお金と時間を天秤にかけて、「時間のほうがもったいない」という結論を出したわけです。
一方で、同じ数字を毎日確認し、まだ起きていない破産や病気を何度も想像することは、備えではありません。
心配したことの多くは起こらない。
しかし、何も起こらなかったときに、「心配したから防げた」と考える。まあ、因果関係の無い迷信ですね。
その誤った学習によって、さらに心配を続けます。
だから、老後不安は、お金を増やすだけでは終わらない場合があります。
問題は資産額ではなく、「心配をやめたら危険だ」という信念にあるからです。金額の問題ではないわけです。
Q太郎は、心配は老後を守ってくれる保険ではないと思っています。
保険料だけを毎日取り立てて、何も補償してくれない保険です。無駄な保険です。
そして支払う保険料は、お金ではありません。
今日の時間と、今日の安心です。
しかも、心配のおかげで何も起きなかったように感じるので、解約するのが難しい。
だからこそ、備えには終了条件が必要です。
数字を確認する。
行動を一つ決める。
次の見直し日を決める。
そこまで終えたら、今日の老後対策は終わりにする。
未来の自分へ残す仕事まで、今日の自分が先回りして背負わない。
老後のために今日をすべて使ってしまえば、老後へ届けるはずだった人生そのものが、途中でなくなってしまいます。
老後を心配しないことは、老後を軽く見ることではありません。
必要な準備をしたうえで、まだ起きていない問題に、今日の生活を渡さないことです。
Q太郎は、老後の安心とは、未来の危険をすべて消すことではなく、今日の担当ではない心配を、今日の自分から降ろすことだと思っています。
皆さんは、老後について何度も確認してしまう数字がありますか。また、「ここまで準備したら、次の見直し日までは心配を休む」と決められる終了条件はあるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
