
こんなコメントをいただきました。
「物を捨てない人ほど、物を買いますね。私の父がこれで、家にはおなじものがたくさんあります。昔のものを使うわけでもなく、また新しい物を買います。」
とのことです。ありがとうございます。
Q太郎の父もおなじですね。物を捨てません。
この手の人たちの言いわけは、「物を大切にしているから、取っておいている」です。
まだ使える。いつか必要になるかもしれない。捨てるのはもったいない。
それで昔の物を箱へ入れて、しまっておきます。
ところが、箱へ入れた物は、そのまま見えなくなります。
物が多すぎて、自分が何をどこに入れたのか分からない。どの箱へ入れたのかも分からない。そもそも、そんな物を持っていたこと自体を忘れます。
コンセントとかリモコンとか、何に使うのかわからないものが箱にゴチャッと入っているわけです。
そして必要になったときには、その箱から探すわけでもなく、新しい物を買います。
家のどこかには、同じ用途の物があるはずです。しかし見つからないので、また買う。新しく買った物をしばらく使い、それも古くなれば、また箱へ入れる。
そうして、物を大切にしていると言いながら、物が増え続けます。そして、もはやどこに何があるのかわかっていません。
これ、物を大切にしているのでしょうか。
何を持っているか分からない。どこにあるかも分からない。必要なときに使えない。それで同じ物をまた買う。
Q太郎には、物を大切にしているというより、物の管理を放棄しているように見えます。
そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。
今回は「物を捨てない人ほど、また買ってしまう」を深掘りしていきます。
・三つの話
今日は大きく三つ話します。
一つ目、「物を大切にしている」という言葉の矛盾。
二つ目、箱へ隠すほど新しい物を買ってしまう仕組み。
三つ目、なぜ物を捨てることが、自分の一部を捨てるように感じられるのかです。
最後に、物を所有するとはどういうことなのか、Q太郎なりの見立てを置いて終わります。
・一つ目・捨てないことは大切にすることか
それでは一つ目、言いわけに使われる、「物を大切にしている」という言葉の矛盾です。
物を大切にするという言葉から、皆さんはどんな状態を想像するでしょうか。
丁寧に扱う。汚れたら手入れをする。必要なときに取り出して使う。壊れたら修理する。
たぶん、そういう状態だと思います。
ところが貯め込まれた物は、使われないまま箱の中へ入っています。手入れもされません。存在さえ忘れられています。
捨てられてはいませんが、大切にもされていません。
ただ、捨てるという判断を先送りされているだけです。
ここで、「捨てたら物がかわいそうだ」と言う人もいます。
しかし、十年間箱へ閉じ込めて存在を忘れることは、物にとって幸せなのでしょうか。
もちろん、物には感情がありませんので、幸せも何もないのですが、物を擬人化して捨てない理由にするのであれば、箱の中へ入れたまま忘れることのほうが、よほど雑な扱いにも見えます。
本当に大切な物なら、使うはずです。
少なくとも、何を持っているかは把握しているでしょう。
大切な家族を、段ボール箱へ入れて押し入れへ置き、十年後に「そういえば、いたような気がする」とはなりません。
物だから、それができてしまうのですね。
「物を大切にしている」という言葉は、とても聞こえがよいです。
物を捨てられない。判断したくない。もったいないという痛みを感じたくない。そういう自分の都合を、「物を大切にしている」という道徳的な言葉へ置き換えることができます。
捨てない自分は優しい。長く持っている自分は立派だ。
そう思えば、箱の中身を確認しなくても済みます。
しかし、何を持っているか分からない人が、物を大切にしているとは言えません。
物を捨てていないだけです。
ちなみにQ太郎の実家の庭にはロッカーが置いていますが、長年開けられたことがなく、もはや何が入っているのかわかりませんし、開けるのも怖いです。
・二つ目・見えなくすると、また買う
二つ目、箱へ隠すほど新しい物を買ってしまう仕組みです。
片づけるとき、とりあえず箱へ入れることがあります。
床に散らばっていた物がなくなり、部屋がきれいになります。片づいたように見えます。
そしてこの手の人たちは、やたらと箱とか収納とかを買うんですね。
ただ、実際にやったことは、物の量を減らしたのではなく、視界から消しただけです。
箱の中身を一覧にして、置き場所を決め、必要なときに取り出せるなら、それは収納でしょう。
しかし、中身の分からない箱を押し入れへ積み上げたなら、それは収納ではありません。
判断の埋葬です。
捨てるか。残すか。誰かへ渡すか。売るか。どこで使うか。
決められなかった物を箱へ入れ、見えない場所へ埋めています。
そして見えない物は、生活の中では存在しない物と同じになります。捨てているのとおなじです。リサイクルされないぶん、捨てるよりもタチが悪いです。
たとえば工具が必要になったとします。
家のどこかにある気はする。しかし、どの箱か分からない。積み上がった箱を全部開けるのは面倒くさい。
それならホームセンターで新しい物を買ったほうが早い。
そうして、また一つ増えます。実際、Q太郎の父は、工具セット探すのを面倒がって、新しいのを買いました。
貯め込む人は、節約しているように見えて、同じ物を何度も買いやすいのですね。
昔の物を捨てないことで、お金を守っているつもりになる。しかし実際には、持っている物を把握できないため、余計な買い物が増えます。
それだけではありません。
物を置く場所にもお金がかかります。広い家が必要になります。棚や収納ケースを買います。テーブルの下とか、適当に箱とかを置くから、床面積がどんどん狭くなって、探す時間もかかります。掃除が難しくなります。転倒や火災の危険も増えます。
安いから買った収納ケースが、さらに物を増やす許可証になることもありますね。
箱を買ったから、まだ入る。棚を増やしたから、まだ置ける。
収納用品というのは、場合によっては片づけの道具ではなく、捨てる判断を先送りするための設備になります。
物を捨てずに節約したつもりが、保管するために、空間と時間と新しいお金を払い続けているわけです。そして新しい物を買うので、全然節約になっていないわけです。
・三つ目・物が自分の一部になる
三つ目、なぜ物を捨てることが、自分の一部を捨てるように感じられるのかです。
重度の貯め込みは、単なるだらしなさや性格ではありません。
現在では、貯め込み症は、独立した精神疾患として扱われています。
何かの精神疾患の作用として貯め込み症があるのではなく、「貯め込み症」自体が独立した精神疾患になっているのですね。
物を手放すことへ強い苦痛を感じ、物が生活空間を埋め、本来の用途で部屋を使えなくなるなど、日常生活に大きな支障が出る状態です。
物を手放せない心理には、物を自分の延長として感じることが関係しています。
昔着ていた服は、その頃の自分です。
昔使っていた道具は、何かに熱中していた自分です。
もう読まない本は、その本を読もうと思った知的な自分です。
壊れた機械は、いつか修理できると思っている、未来の有能な自分かもしれません。
物を捨てると、その物だけではなく、その物に結びついた記憶や可能性まで捨てるように感じます。
だから苦痛が出ます。
いらない物を選んでいるつもりが、「昔の自分には価値がなかった」と判定しているような気分になるのですね。
それなら箱へ入れておいたほうが楽です。
過去の自分を否定しなくて済みますし、いつか使う未来の可能性も残せます。
しかし、箱へ入れたからといって、過去が保存されるわけではありません。
思い出は、箱の中の物そのものではありません。その物を持っていた自分の経験です。
物を手放しても、過去にそれを使った事実までは消えません。
それでも手放す苦痛が強く、生活が使えないほど物に埋まり、火災や転倒の危険がある場合は、本人を責めて一気に捨てさせればよい話でもありません。
アメリカでは、貯め込まれた物が火元の近くへ積まれたり、出口や通路を塞いだりして、住人だけでなく消防隊員にも危険が及ぶことから、消防、福祉、保健、精神医療などが連携する専門チームを設けている地域があります。
火災や生活上の危険を減らしながら、本人の強い苦痛にも対応するため、複数の専門職が支援するシステムですね。
家族が勝手に全部捨てると、本人にとっては、自分の一部を乱暴に奪われたように感じられます。空いた場所へ、また物を集め始めることもあります。
箱だけを捨てても、物と自分を切り離せない問題は残るのですね。
・まとめ・所有とは管理すること
最後に、Q太郎なりの見立てを置きます。
Q太郎は、所有とは、家の中へ物を置いておくことではないと思っています。
何を持っているか把握する。どこにあるか分かる。必要なときに取り出す。手入れをする。そして必要がなくなったら、次の行き先を決める。
そこまで含めて、所有です。
「いつか使えるから」とか、捨てるのがつらいからとかで、箱へ入れる。中身を忘れる。必要になったら新しく買う。そして新しい物も箱へ入れる。「いつか使える」の「いつか」は、いつまで経ってもやってきません。やってきたとしても、新しい物を買うだけです。昔のものを探す気なんかありません。
これは物を大切にしているのではありません。
捨てる責任も、管理する責任も放棄して、新しく買うことだけを続けています。
物を大切にすることと、物を捨てないことは違います。
本当に物を大切にする人は、自分が扱える量だけを持ち、それを使います。
何を持っているか分からなくなった時点で、所有している物が資産なのではなく、所有者の時間と空間を使い続ける負債へ変わっているのかもしれません。
ただ、どの量から管理放棄になるのかは、人によって違います。
物が多くても、場所と用途を把握し、使えている人はいます。反対に、物の数が少なくても、どこにあるか分からず、同じ物を買い続ける人もいます。
数ではなく、関係なのですね。
あなたが物を管理しているのか。それとも、判断できずに置いてある物が、あなたの生活を管理しているのか。
Q太郎は、そこが「物を大切にしている人」と「物を捨てていないだけの人」の境目だと思っています。
皆さんの家にも、何が入っているか思い出せない箱はありますか。また、家にあるのを忘れて、同じ物を買ってしまった経験はありますか。よろしければコメント欄で教えてください。全部読ませていただいています。
数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。
ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。
