50代の「それ、知ってる」が若者の感動を奪う|経験済みをまき散らす人たち

50代の「それ、知ってる」が若者の感動を奪う|作品には二番煎じでも人生では一杯目
【毎日17時更新中!】たまに午前中にも追加投稿します。新しいゲームへ感動している若い人に、「それ、昔にもあったよ」「二番煎じだね」と伝えるベテラン。知識として正しくても、その人の人生で初めての経験へ水を差しているかもしれません。この動画では...

以前、「なぜ50代からは、何もかも面倒くさいのか」という動画を出しました。

人生経験が増えると、新しい物を見ても、過去に経験した何かの亜種として処理できてしまいます。

旅行へ行っても、だいたい何が起こるか分かる。

ゲームを見ても、以前遊んだ作品との共通点が見える。

実際にはまだ体験していないのに、「まあ、だいたい知っている」と、経験済みにしてしまう話です。

この動画へ、こんなコメントをいただきました。

「おっしゃるとおりなんですけど、その経験済み感を若い人にまき散らして、不快感を与えないように気をつけなくちゃと思っています。つい最近、ある大作ゲームを巡ってそんなやり取りがあり、ベテラン勢の言葉に大いに疑問を感じていました。ベテランにとっては、過去にも似たような物があった、二番煎じ、今さらでも、若い人にとっては初めての貴重な体験です。そうした新鮮な感動に水を差すことがないようにしなくてはいけないと思っています」

とのことです。ありがとうございます。

これは、本当に気をつけたほうがよい話ですね。

若い人が、新しいゲームを遊んで感動しています。

「この世界観はすごい」

「こんな戦闘は初めてです」

「この展開には驚きました」

そこへ、長くゲームを遊んできた「ベテラン」がやって来ます。

「それ、昔のゲームにもあったよ」

「あの作品の二番煎じだね」

「今さら、その程度で驚くのか」

言っていることは、ゲームの歴史として正しいかもしれません。正直、RPGやアクションゲームなど、ゲームの形式はだいたい突き詰められてきた感はあります。

しかし、その知識を今ここで出す必要があったのかは、別の話です。

そのゲームが人類史上初めてかどうかと、その人の人生で初めてかどうかは違います。

作品としては二番煎じでも、その人の人生では初めてなわけです。

まだ一口目を味わっている人の隣で、「それ、以前にもあったよ」と言う。

経験者は知識を渡したつもりでも、相手からすれば、感動へ水を入れられただけかもしれません。

そんなわけで、ようこそ、Q太郎のお金の哲学へ。お金に飲み込まれないための生存戦略を独自の視点で解説します。

今回は「50代の『それ、知ってる』が若者の感動を奪う。経験済みをまき散らす人たち」を深掘りしていきます。

・三つの話

今日は大きく三つ話します。

一つ目、同じ作品が、なぜ50代には既視感、若い人には初体験になるのか。

二つ目、経験者はなぜ「それ、知ってる」と言いたくなるのか。

三つ目、経験をまき散らさず、相手の最初の感動を待つことについてです。

最後に、人生経験は他人の感動を短くするための物なのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

・一つ目・作品には二番煎じでも人生では一杯目

それでは一つ目、同じ作品が、なぜ50代には既視感、若い人には初体験になるのかです。

長くゲームを遊んでいると、新しい作品の中に、過去の作品が見えてきます。Q太郎もそうですが、たくさんゲームを遊んできた人は、だいたいどのゲームも似たようなものに見えてくるのですね。

この戦闘システムは、昔のあのゲームに似ている。

この物語は、以前のあの作品と同じ構造だ。

この演出は、もっと古い映画で使われていた。

経験が増えるほど、共通点を見つけるのがうまくなります。抽象化能力が上がりまくっている状態ですね。

これはゲームに限りません。

音楽を長く聴いてきた人なら、新しい曲を聴いて、昔のバンドに似ていると気づきます。

本をたくさん読んだ人なら、新しい小説の展開を、途中で予測できます。推理小説もパターンがいくつかありますので、それを知っているとだいたい想像ついてしまうのですね。

会社で長く働いた人なら、若い社員が提案した方法を見て、昔にも似た取り組みが失敗したと思い出したりします。

経験は、目の前の物を、歴史の中へ置く力をくれます。

一方、若い人や、その分野へ初めて入った人には、その過去がありません。

目の前の作品を、何かの引用や改良版としてではなく、そのまま受け取ります。

経験者には見慣れた展開でも、その人は初めて驚きます。

昔からある仕組みでも、その人は初めて操作します。

同じ物を見ていても、一人は過去の作品と比較し、もう一人は人生で初めて出会っています。

どちらかが間違っているわけではありません。

新しいゲームが、本当に過去の作品から影響を受けていることもあるでしょう。

人類史上初の発明ではないこともあります。

しかし「以前にもあった」という事実は、「今、感動する価値がない」という意味にはなりません。

花火は、毎年だいたい同じように空へ上がります。Q太郎が以前中国の鄭州へ行ったとき、ホテルの近くのショッピングモールで、なぜか毎晩花火が上がっていました。お金があることを自慢したいのかなんだか知りませんが、毎晩やっているのですね。毎晩花火大会なわけです。それでQ太郎的には花火には飽きたわけです。

そんな感じで、何十回も見た人には、以前にも見た花火です。

しかし初めて見る子どもにとっては、初めて空が光り、音が体へ響く瞬間です。

そこで「花火なんて昔からある」と教えても、知識としては正しいです。

ただ、それで目の前の感動が豊かになるかは、よく分かりません。

ここがQ太郎的に重要なところですが、「作品の新しさ」と、「経験の新しさ」を混同しないことです。

作品には二番煎じでも、その人の人生では一杯目です。

一杯目の味は、過去に同じ飲み物が存在したからといって、偽物にはなりません。あなたが知っていても、その人は知らないわけです。

・二つ目・感動しないことが経験者の証明になる

二つ目、経験者はなぜ「それ、知ってる」と言いたくなるのかです。Q太郎もよく言いたくなります。

相手の役に立ちたい場合もあると思います。

この作品が好きなら、元になった昔の作品も面白いと教えたくなります。

以前の失敗を知っているから、同じ失敗を避けてほしい。いわゆる「ベテランムーブ」ですね。

経験者の知識は、使い方によっては、相手の世界を広げます。

ただ、それとは別に、「自分は簡単には驚かない」と示したい気持ちもあります。

若い人が感動している物を、自分は以前から知っている。

元ネタも知っている。

もっと優れた作品も経験している。

その事実を言えば、自分の経験量を見せられます。無意識のマウントが始まっているのですね。

感動している人より、感動していない人のほうが、物をよく知っているように見えます。

何かを見て素直に驚くと、初心者に見えます。

「はいはい、このパターンね」と言えば、ベテランっぽく見えます。

すると、楽しめないことが知識の証明になります。

新しい作品のよいところを探すより、元ネタや欠点を早く見つけた人が勝つゲームになります。

Q太郎もやりがちですが、これは、少しもったいない話です。

何十年もかけて経験を増やした結果、何を見ても感動できない。それだけなら自分の問題ですが、感動している人へさらに冷水を浴びせる。迷惑以外の何者でもないわけです。

経験が、人生を豊かにする物ではなく、他人より上へ立つためのマウントの道具になります。

しかも、「それ、知ってる」と言われた側は、作品について話しにくくなります。

自分が面白いと思った点は、すでに昔からあるらしい。

驚いた展開も、詳しい人にはありふれているらしい。

これ以上感想を言えば、物を知らない人だと思われるかもしれない。

そう考えて、黙ります。

経験者は一つ知識を出しただけでも、相手は、その場で自分の感動を引っ込めます。コミュニケーションもそこで打ち切られてしまいます。

ここでQ太郎が気になるのは、作品を正確に評価することより、なぜ今、その評価を相手へ伝えたかったのかです。

50代から多くなってくるのは、「聞いてもいないアドバイスをする」ことだと以前の動画で述べました。Q太郎もこれをやりがちですね。

それで、相手が作品史を尋ねたのでしょうか。

元ネタを知りたいと言ったのでしょうか。

それとも、ただ「面白かった」と話したかったのでしょうか。

質問されていない知識を急いで置くとき、その知識は相手のためというより、たんにマウントしたいだけなのかもしれません。本人は尊敬されると思っていたりしますが、逆に人が離れていく結果にもなったりします。

・三つ目・最初の感動が終わるまで待つ

三つ目、経験をまき散らさず、相手の最初の感動を待つことです。

では経験者は、何も言わず、若い人へ話を合わせればよいのでしょうか。

ここのさじ加減が難しいところですが、Q太郎は、知識を隠す必要まではないと思います。

昔の作品とのつながりを知ることで、目の前の作品を、さらに深く楽しめることがあります。

ただし、語る順番は考えたほうがよいでしょう。

若い人がゲームを遊び始めたばかりなら、まず最後まで遊ばせる。聞かれないかぎりは、よけいなことは言わない。

面白かったと話しているなら、何が面白かったのかを聞く。「この作品の元ネタ、知ってるよ」とか自分の話をしない。我慢して、人の話をただ聞く。

驚いたと言っているなら、その驚きを受け取る。

そして、相手が一杯目を飲み終わるまで待ちます。

そのあとで、相手がもっと知りたそうなら、昔の作品の話をします。

「実は、似た仕組みを使った昔のゲームもある。今の作品が好きなら、そちらも楽しめるかもしれない」

同じ知識でも、感動する前に出せば、経験を奪います。ぶっちゃけ、ただマウントですし、嫌なやつになります。

感動したあとに出せば、経験を広げます。

これはゲームや映画のネタバレにも似ています。

結末を知っている人は、まだ知らない人より多くの情報を持っています。

しかし知っているからといって、先に教える権利が生まれるわけではありません。

映画館の前で、これから見る映画のオチを大声で叫んでいる人がいたら、ぶっとばしてやりたくなるとは思います。推理映画の犯人の名前を叫んでいたら最悪ですね。

50代が若い人へできることは、経験を全部先回りして渡すことではありません。

自分で驚き、自分で失敗し、自分で感想を持つ時間を残すことです。

会社でも同じです。

若い人が新しい提案をしたとき、昔も失敗したと言えば、話はすぐ終わります。

しかし以前と条件が違うかもしれません。

同じ失敗を本人が経験することに、意味がある場合もあります。

取り返しのつかない危険があるなら、止める必要があります。

そうでなければ、「以前はこうなったけれど、今回は何が違うと思う」と聞くこともできます。

過去の経験を結論として置かず、相手が考えるための材料として置きます。

経験者の役割は、相手より先に答えを言うことだけではありません。

答えを知っていても、相手が自分で到着するまで待てることも、経験者の余裕だと思います。それができる人のほうが、人生のベテランですね。

・まとめ

最後に、人生経験は他人の感動を短くするための物なのか。Q太郎なりの見立てを置いて終わります。

50代になると、いろいろな物を経験しています。

新しいゲームの中に、昔のゲームが見えます。

新しい音楽の中に、昔の音楽が聞こえます。

若い人の提案を聞いて、以前の失敗を思い出します。

「それ、知ってる」

「昔にもあった」

「二番煎じだ」

そう言えることは、経験を積んだ証拠かもしれません。

しかし、その知識を出したことで、目の前の人から何が消えるのかも考えたほうがよいでしょう。

若い人にとっては、初めて出会った作品です。

初めて驚いた仕組みです。

初めて自分で考えた提案です。

人類史上初ではなくても、その人の人生では初めてです。

Q太郎は、作品には二番煎じでも、その人の人生では一杯目だと思っています。

一杯目を飲んでいる人へ、昔にも同じ物があったと教えても、その味は豊かになりません。

まず飲み終わるまで待つ。

おいしかったと話し始めたら、その感想を聞く。

そして相手が次の一杯を知りたくなったとき、こちらの経験を渡します。

経験は、出す順番によって働き方が変わります。

早すぎれば、他人の感動を奪います。

少し待てば、その人の感動の先へ、新しい世界をつなげられます。

もちろん、すべての新作を褒める必要はありません。

つまらないと思ったなら、その感想を持っていてよいでしょう。

ただ、自分がつまらなかったことと、他人が感動してはいけないことは別です。

自分の経験済みを、相手の経験済みにまでしないことです。

Q太郎の見立てでは、人生経験は、自分の人生を深くするための物です。

他人の人生を短くするために使う物ではありません。

五十年生きて、物事の結末が見えるようになった。

だからこそ、まだ結末を知らない人の楽しみを守れる。

何でも先に教えることではなく、知っていても少し黙っていられること。

それも、経験を積んだ人にしか持てない強さだと思います。

皆さんは、感動しているときに「それ、昔にもあったよ」と言われ、水を差された経験がありますか。また、自分が知っていることを急いで伝えず、相手の初体験を待てたことはあるでしょうか。よければコメントで教えてください。全部読ませていただいています。

数字を味方に。そして、誰の欲望でもない自分の人生を、自分の手で耕していきましょう。

ではまた、Q太郎でした。この動画を気に入っていただけましたら、高評価・チャンネル登録をよろしくお願いいたします。

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